短編小説・ショートショート【極楽堂】

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ミッドナイトゴーストツアー

 持ってきたビールを二人で空け、だいぶ夜も更けてきた。そろそろ行こうかということになり、家を出る。
 二人とも車を持っていないので、とりあえず電車で隣町まで行く。幽霊を見に行くときというのは、車が定番なのだろうが……。
 終電は、飲み屋帰りのサラリーマンなどで結構混んでいた。赤い顔をしたおっさんたちが、大きな声で管を巻いている。
 ああいうふうにはなりたくない、と彼らも昔は思ったのだろうか。
 二〇分くらいして、目的の駅に着く。
「で、どこなんだ、その場所って」
「浄土沼だよ」
「浄土沼? 沼なのか?」
「うん」
 幽霊というからにはてっきりつぶれたホテルとか廃病院とかを想像していたのだが、沼とは。ずいぶんアウトドア志向だな。
「歩いていくのか?」
「結構あるからねえ。タクシー乗ろうか」
 終電後の駅には赤い顔の男たちを送り届けるためのタクシーが列をなしている。
 その中の一台に乗り込む。
「お客さん、どこまでですか?」
 低いバリトンの通る声で、運転手がバックミラー越しにおれたちに尋ねた。
「浄土沼まで行きたいんですけど」
「わかりました」
 そして、車は走り出した。
 タクシーのライトや、ビルのネオンなどが少しずつ遠ざかっていく。夜の街の喧騒もだんだんと聞こえなくなっていった。
「お兄さん方、浄土沼にはどういったご用事で?」
「え? ああ……」
「見た感じ、釣りといった感じでもないですけど」
 しまった。
 釣竿でも持ってくるんだった。夜中に何も持たずに沼に行けば、そりゃ怪しまれるに違いない。おれが言葉を濁らせていると、聡が後を継いだ。
「いやね。昆虫の研究なんですよ。ぼくたち大学で虫について勉強しているんです」
「ほお。そうなんですか。どういった類のものを?」
「水辺に棲む虫たちの生態系を調べています。なんでも浄土沼はちょっと変わった生態系を持っているみたいなんですよ」
「なるほど、それは初耳ですなあ」
 感心したように運転手は何度もうなずいた。
 おれもスラスラ出てくる聡の嘘に感心した。
「いやね、わたしはてっきり」
 そこで運転手はしまったといったふうに言葉を止めた。
「てっきり、なんですか?」
「え? は、ははは。なんでもないですよ」
 ごまかしているのは明白だ。
「運転手さん、途中で話やめられたら続き気になりますよぉ」
「でもですねえ」
 おれと聡はお互いに顔を見合わせた。
 どうやらまんざら嘘でもなさそうだ。
 おれはカマをかけてみることにした。
「もしかして、幽霊が出るとか?」
「えぇっ? ご存知なんですか?」
 ビンゴ。
「先輩から聞いたんですよ。ぼくたちを怖がらせるために言った作り話だと思ったんですけど、本当なんですか?」
 聡は抑えきれない好奇心をむき出しにして、目を輝かせている。
「わたしも実際に見たわけではないのですが、そういう話は仲間から何度か耳にしたことがあります」
 運転手はさきほど躊躇った続きを話し出した。
「ただ、人によって内容が多少違っていて、髪の長い女の霊だとか、赤い服を着た女の子だとか、いろんなパターンがあるようです」
 車はどんどん人里から離れていき、周りには少しの民家と田んぼしかなくなっていた。
「それが沼の向こうに見えたかと思うと、すーっとこちらに近づいてくるのだとか」
「水の上を通ってですか?」
「ええ。ですからみな驚いて、すぐに逃げ帰ってしまうようです」
「その中で、幽霊に触られたという人は?」
「触られた、ですか? いえ、そういう話は聞いたことがありませんが」
「そうですか」
 触られたという話はないようだが、どうやら出るらしいというのは俄然真実味がでてきた。
「これから調査に行くのに、すみませんね。こんな話しちゃって」
「いえいえ、いいですよ。ぼくたち幽霊とか全然信じてないんで」
 しれっとした顔で聡が答える。そしておれの方を見て、舌をだした。まったく子どもみたいなやつだ。
「そろそろ着きますよ」
 周りはたくさんの木々が覆いかぶさっていて、闇をさらに濃くしている。
 なるほど。
 確かにおあつらえ向きのシチュエーションだ。
「ここから先は車だとちょっと大変なんで、この辺でいいですか?」
「ええ。ありがとうございます」
 料金を支払い、車を降りる。
 森の中なので、もちろん街灯などはなく、車がいなくなると、辺りは深い闇となった。
 聡はナップザックから懐中電灯を二つ取り出し、その小さい方をおれに手渡した。
 真っ黒な中に小さな白い光がともる。
 ほんの小さな光だが、今のおれたちにはとても頼もしい光だ。
 時折、風で林がざざざぁと鳴く。
 道とも言えないような獣道をおれたちは歩き始めた。
「いやあ、これは雰囲気あるねえ」
「……まあな」
 ハイキングを楽しむように聡が声をかけてくる。
 まったく、聡といい克也といい、こいつらには恐怖という感覚がすっぽりと欠落しているに違いない。でなければ、好き好んでこんな闇の森の中を歩くわけがない。
 口では強がっていたものの、おれは多少怖くなってきていた。
 ケータイを見ると、電波は普通に三本立っている。こんな山奥まで電波が届いているとは。
 しばらく歩いていると、ようやく「浄土沼 この先二〇〇メートル」と書かれた標識に出合った。
「もう少しだねえ。いるかな、いるかなぁ」
 返事をするのもうんざりだった。
 闇の中を歩くというのは、普段以上に疲労を感じる行為だとおれは痛感していた。
「あれ?」
 ふと聡が立ち止まった。
 突然だったので、思わずぶつかりそうになる。
「どうした?」
「ほら、あそこ」
 聡は懐中電灯の光で、向こう側を指した。
「誰かいない?」
 そのとき、『ピピピピピ』と急に電子音が鳴り響いた。おれは思わず「おわ」と間抜けな声をあげ、腰が抜けそうになった。だがなんとかその一歩手前で踏みとどまる。
「あ、電話だ」
 普段通りのリアクションで聡は電話に出た。いつかやつの心臓を見てみたいものだ。きっと毛むくじゃらに違いない。
「はーい。もしもし。え? ああ。うん。えーと」
 電話で話しているため、聡の懐中電灯の向きが変わり、先ほどの人影らしきものは見えなくなった。おれはゆっくりと自分の懐中電灯をさっきやつが指した方に向けた。
 そして、今度は腰を抜かして、その場にへたり込んだ。
 懐中電灯はめちゃくちゃな方向を指しながら、地面に転がった。
 人影はさっきよりも近づいていた。
 明らかにこちらを目指している。
「え? ほんと?」
 聡は依然として話を続けている。
 どういう神経をしているんだ。
「お、おい。聡」
 震えて声にならず、なんとか力をこめてそう言った。
 しかし、でかい声で話し続けるやつの耳には届かない。それよりもその場で座り込んでいるおれに気づきそうなものだが。
 こいつが昔から一つのことに集中すると周りが見えなくなるタイプだったことを思い出した。
 突然、聡がさっきの人影の方に明かりを向ける。そして「ああ」と大きな声をあげ、手を振った。
 そうすると向こうから「やっぱりねー」と聞き覚えがある声がした。
「大人は汚いよ」
 広康がニヤニヤしながら、すぐ側に立っている。
「あれ? トキオなんで座ってるの?」
「え? あ、ああ。疲れたから休んでたんだ」
 おれは精一杯の虚勢を張る。
 呼び捨てにするなと言う余裕はとてもなかった。

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