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聞いたことない

 健康のために、プラス、ダイエットのために、最近はジュースではなく、水を飲むようにしている。いわゆるミネラルウォーターというやつだ。最初のうちこそ何か物足りない気もしたものだが、慣れてくると全然気にならず、かえってジュースを飲むことに抵抗を覚えるようになった。水ならばなんの躊躇いもなく飲むことができるが、ジュースの場合、その糖分がそのまま体重増加につながるのではと思って、躊躇ってしまうのだ。この習慣を始めてから体重が、確実に減少しているため、尚のことそう思った。
 そういうわけで、俺は今日も薬局にペットボトルのミネラルウォーターを買いに来ていた。
 水なんかどれも同じだろと思うかもしれないが、慣れてくるとその違いがはっきりと分かるようになってくる。硬水、軟水の違いは当然として、国内の水でも結構場所により味が違うものだ。それが面白く、毎回別の産地の水を買うことにしている。
 今日はどれを買おうかなと迷っていると、今まで見たことのない水があった。
 韓国産のもので、その説明を見ると、とにかくすごそうな感じがする。病気が治るとかなんとか。よし、今日はこれにしようと思い、五〇〇ミリリットルのペットボトルを一つ手に取る。他に何か買うものがなかったけかな、と店内を物色して回るが、特に欲しいものはなかったので、そのままレジに行った。
 レジには五〇歳位のおばちゃんがいた。髪を後ろでたばね、その年齢にしてはノーマルな厚化粧をしている。微かな笑顔を浮かべ、帳簿のようなものをつけている。
 持っていたペットボトルをカウンターの上に置くと、おばちゃんはビックリしたような表情を浮かべ、それを手にとった。それから、申し訳なさそうに、
「これ高いよ」
と、ペットボトルをカウンターの上に置きながら言った。店の人から「これ高いよ」なんてセリフを聞くのは初めてだったので、ちょっと驚いた。高いものを売った方が店にとっては儲けになるのではないだろうか。
「いくらですか?」
 そう尋ねると、おばちゃんはバーコードをさっと読み取り、
「二八〇円だね」
 と答える。確かに高い。普通のジュースでも一五〇円だということを考えると二倍くらいの値段である。
「これは、すごい効き目あるらしくてね。病気の人とかが買っていくのよ」
「あ、そうなんですか」
「お兄ちゃん、まだ若いんだから、これは必要ないんじゃない?」
「え、あ、まあ、はい。じゃ、替えますね」
「そうしなよ」
 そういっておばちゃんは俺にそのペットボトルを返した。親切なおばちゃんだな、と思いながら、それをさっきあった棚に戻し、前に一度買ったことのある水を選んだ。最近話題のダイエットに効果があるというフランスの水だ。
 今度は、それをレジに持っていくと、またおばちゃんがうーんといった表情を浮かべた。
「これおいしくないよ」
 え?
 店員がおいしくないと言っちゃまずいんじゃないの?
「アタシ、初めてこれ飲んだとき、オエッとなっちゃったわ」
 いやいや、オエッとか言っちゃまずいでしょ。
 あなたそれ売ってるんだよ。
「あ、これは飲んだことあるんで、大丈夫です」
「あら、そうなの。なんか重い感じするわよね。お茶とか入れると飲めたもんじゃないわ」
「そうですね」
 と、笑顔で返すものの、果たしてこれは店員として、問題ないのだろうかと疑問に思った。
 お客のためを思って、言っているんだろうけど、店のためにはなっていないような気が……。
「ま、おいしくはないけど、健康のためにはね」
 そう言ってにこっと微笑み、ペットボトルを袋に詰め込むおばちゃん。
 なかなか面白いな、この人。
 店の利益よりも、お客のことを考えてくれるみたいだし、好感ももてる。
 またここに来よ。
 そんなことを思いながら、袋を受け取る。
「ちょっと大きい袋しかなくてごめんね」
「いえ、全然構わないっすよ」
「あそこの大学の人?」
 どうやら近くにある大学を指しているらしい。
 俺は大学を出ていたが、そこの大学ではなかった。しかも卒業したのは三年も前のことである。
「いえ、違いますよ。もうとっくに社会人です」
「あら、そうなの。若く見えるわね」
「そうですか、はは」
 いつも年齢より上に見られる分、若く見られるのは気分がいい。
 ますます好感がもてる。
 ちょっと浮かれていると、おばちゃんは今までのはきはきした口調とは打って変わって、もじもじしだした。そして、
「こんなこと聞くのあれだけど……彼女とかいるの?」
 と、一言。
 そう言った彼女の瞳を見た瞬間、もうこの店には来ることはできないと、ひしと感じた。

June 4, 2003


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