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ケータイ幸福論

「例えばだよ、世界中の人がみんな幸せになることができると思うか?」
 他愛もない世間話をしていると、受話器の向こうから、突飛な質問が飛び込んできた。
「なんだよ、急に」
 驚いて、聞き返す。
「ま、例えばの話だよ。そんなことが可能だと思うか?」
 急にそんなことを聞くからには、何か裏があるのだろう。が、とりあえず話に乗っていく。
「可能云々は別として、それが理想だろうね。みんなそうなればいいなと思ってるはずだよ」
「模範的な回答だわな」
 あらかじめ予測していたかのように、ヨウイチは即答した。
「だがな、それは絶対に不可能なんだわ」
「不可能? なんで?」
「だってよ、よく考えてみろよ。人には好みがあんだろ。暑いところが好きな人もいれば、寒いところが好きな人もいる。かと思えば、どっちも嫌いな人だっているだろ」
「うん。まぁ確かにそうだね」
「暑いところが好きな人のために、世界全体が暑くなったとする。当然、常識の範囲でだぞ」
「死んでしまうくらい暑いところを好む人は、いないだろうからね」
「そういうことだ。でな、暑くなれば、そこが好きな人にとっては、幸せなわけだよ」
「ああ、うん」
「でもな、そこが嫌いな人にとっては、それは苦痛でしかない」
「そうなるね」
「つまりだ。誰かが幸せになるってことは、他の人にとって、幸せにならないってことを意味するわけだ。だから、全ての人が幸せになるってのは、絶対に無理ってことになる」
「ふむ。少し強引っぽい気もするけど、確かにそうかもしれないな。誰かが幸せになるってことは、誰かが幸せを奪われるってことか」
「そうそう。それを言いたかったわけよ」
「てか、なんで急にそんなことを?」
 一瞬の沈黙。
「あのな。お前欲しがってたギターあんじゃん。あそこの五階で売ってたやつ」
 ああ、そういうことか。
「あるね。残り一つって書いてたやつ」
「すまん。実は、あれ買っちゃったんだ」
「それを言うために、わざわざあんな回りくどいことを?」
「なかなか言い出せなくてな。ほんと申し訳ない」
「いいよ。気にすんなよ。誰かが幸せになるためには、誰かが我慢しなきゃなんないんだ。そうだろ?」
「まあ、そうなんだが……。ホント、わりいな」
「いいよ、いいよ。実はさ、お前が二年間片思いしてるサツキちゃんいるだろ。俺、昨日からつきあってんだ」
「は? おまえっ……」
 ヨウイチは何かを言い出そうとして、その言葉を飲み込んだようだった。

May 19,2003


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