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バンバンエレベーター

 ドアが開く。
 みな黙ったまま、狭い個室の中に入っていく。
 体感温度が一、二度低く感じる。
 中には、スーパーの袋をぶらさげたおばさんと、友だちのタケシ、そしてぼくの三人が乗りこんだ。
 隣にいるタケシが、八階でいいんだよな、と小声でぼくに尋ねる。
 遠慮がちのその声は、このシチュエーションにはぴったりな感じがした。ぼくは軽く首を縦に振る。
 そして、タケシが八階のボタンを押そうとしたそのとき、
「それ、爆発するよ」
 と、一言。
 もちろんエレベーターのボタンを押しただけで、爆発する訳なんかない。他愛のないジョークだということは明らかで、タケシは渋い笑顔を浮かべ、ぼくの方を振り返った。
 だが、おばさんは、身体をびくっと震わせ、本当に驚いたようだった。ビニール袋がガサッと揺れる音がし、ぼくたちはお互いに顔を見合わせ、笑いをかみ殺した。
 何もそんなにびびんなくても。
 爆発なんてするはずないっしょ。
 妙に滑稽ではあったのだが、なんとなく気まずい感じがし、ぼくは聞きかじった知識を披露し始めることにした。
「知ってるか?」
 何を、といった感じにタケシが眉を微かにあげ、ぼくの顔を見た。
「エレベーターの中ってさ、急にみんな無口になんじゃん」
 うんうんと頷くタケシ。
「あー、確かにね。なんでなんだろうな」
「その理由ってさ。パーソナルスペースの問題なんだってさ」
「パーソナルスペース? 何それ?」
「んーと、人にはさ、自分の領域っていうか、テリトリーっていうか、とにかく陣地みたいなもんがあるんだって。で、互いの関係によって、その広さをコントロールしてくわけよ」
「それで?」
「例えば、あんまり親しくない人だと、あんまり近くに寄られるのっていやじゃん? それっていうのはパーソナルスペースに侵入されてるからなんだよね」
「へえ、なるほど」
「だから恋人同士ってすごく近くいても別に平気じゃん」
「そうだな」
「親しい人は近くにいても不愉快じゃないけど、あんまり親しくない人は近くに来られると迷惑。簡単に言えば、そういうこと」
「で、それがなんでエレベーターの沈黙につながるわけ?」
「エレベーターってさ、当たり前だけど狭いじゃん」
「ま、そうだな」
「するとさ、全然親しくない人が、パーソナルスペースに侵入してくるわけよ」
「ああ、うんうん」
「そこで、急速に縮まってしまった空間的な距離を補うために、心理的な距離をおくわけ。つまり会話をしないことによって、心理的な距離を稼ぐってことだな」
「距離がダメなら、せめて気持ちだけでも離れたいってことか」
「うんうん、そういうこと」
 チン、という電子音がして、エレベーターが止まる。
 話しこんでいる間に、すでにおばさんは降りてしまったようだ。
「お前、どっからそんな話……ん?」
 タケシの言葉が止まる。
 その原因はすぐにぼくにも分かった。
「あのビニール、さっきのおばさんのじゃねえ?」
 申し訳なさそうに隅にある袋は、間違いなくさっき見たものと同じだった。
「お前が、さっき爆発するとか言ったから、びびって落としていったんじゃないの?」
 渇いた笑いを携えながら、タケシはビニール袋を手にした。
 その瞬間、溢れんばかりの閃光と爆炎が、ぼくらを嘲笑うように立ち昇ったのだった。

May 28 ,2003


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