夢の代償
弟が泣いている。
またか、とうんざりした。
「お兄ちゃん、なんでボク、おもちゃ買ってもらえないの?」
何度も聞かされてきたこのセリフ。
いい加減に理解してほしいものだ。
「いいか、コウタ。ウチにはお金がないんだ。他の家とは違うんだよ」
「どうしてウチにはお金がないの?」
「それは父さんに聞くといいよ」
年の離れた弟を冷たくあしらい、自分の部屋に戻る。
隙間風が入り、ほとんど外と変わらないように思える室温。
強い風が吹くと、窓がガタガタと音を立てる。
もう慣れてしまったが。
はっきりいってウチは貧乏だ。
これは間違いなくあのクソ親父のせいだ。
まともに働いてるはずなのに、ウチにはほとんどといっていいほど余裕がない。毎日カツカツの生活を強いられている。服はバーゲン品か、リサイクルショップで買ったもの。食事も本当に質素なものばかりだった。
小さい頃、おれも母さんに聞いたことがあった。
「どうしてウチはこんなに貧しいの?」
「それはね、父さんがたくさんのお金が必要だから、毎月ほとんど貯金しているからなの」
「父さんはなんでそんなにお金が必要なの?」
「夢のためよ」
困ったような微笑をうかべ、母さんは口を閉ざす。
きっと母さんも辛かったんだと思う。
当時のおれはそんなことは当然理解できず、泣き喚いてよく母さんを困らせた。
そう今のコウタと同じように。
あの親父の夢のために、おれたち家族は今まで犠牲になってきた。
買いたいものもほとんど買えず、いつも同じようなメニューで生活してきた。
はっきりいって、おれは親父を憎んでさえいた。
けれども目に見えた反抗を見せるでもなく、粛々と毎日を過ごしていた。
母さんにこれ以上辛い目を見せたくなかったのだ。
そんなにも大金が必要な親父の夢。
それがいったいなんなのか、ずっとおれにはわからなかった。
けれども、ある雪のちらつく寒い日、とうとうおれはそれを知ることになる。
十八歳の誕生日に、父さんがおれの部屋にきた。
「すまんな、ミツタカ。こんな辛い生活を送らせてしまって」
「なんだよ、急にあらたまって」
「もうおまえも立派な大人だ。だからいろいろ話をしようと思ってな」
「いろいろ?」
「そうだ。例えば、なぜウチはこんなに貧しい生活をしなければならないか」
「それは親父が金を無駄に使ってるからだろ」
そこで語気が強まってしまう。
なにをいまさらという気がした。
恐らく途方もない親父の夢物語のために、おれたちはこんな生活を送っているのだ。
「たしかにそうかもしれん。でも仕方ないんだ」
「仕方ないなんてことがあるかよ」
「父さんもしたくて、こんなことをしてるんではない」
「どういうことだよ?」
「ミツタカ、父さんが何に金を使っているかわかるか?」
「いや」
軽く首を振る。
具体的なことはまだ知らなかった。
「どうせ競馬とかパチンコとか、そういうのだろ」
父さんはゆっくりと首を振った。
少し意外な感じがする。
「じゃあ、何に使ってるんだよ」
ゆっくりと息を吐き、一呼吸置いてから父さんは話し始めた。
「これはな、代々伝わっている家業なんだ。父さんの父さん、つまりお前のおじいさんも同じことをしていた。父さんもいつもじいさんに反抗してたよ。こんなに貧乏なのはお前のせいだってね。でも、今その立場になってみて、じいさんの気持ちもよくわかる。言わばこれはウチの家系の宿命かもしれん」
「宿命? そんな大げさな」
「大げさではない。そのせいでウチの家系は代々貧しい思いをしてきたんだからな」
「誰かがやめようと思わなかったのかよ」
「恐らくそう思った人もいるだろう。だが、これは途絶えさせてはならない伝統なんだ」
「誰かが不幸なる伝統なんて、そんな」
「仕方がないのだ。それをやめることによって、たくさんの人が不幸になるかもしれん」
「たくさんの人が不幸に? つまりウチの家系は生贄ってことかよ」
「そう、なるかもしれんな」
「なんだよ、それ」
「仕方ないのだ。分かってくれ」
父さんの目から涙が落ち、おれは言葉を失った。
はじめて父さんが泣くところを見た。
ボロボロと大粒の涙が、頬を伝わっている。
きっと父さんも辛いのだ。
おれらばかりが辛いのではなかったのだ。
あらためて父さんの姿を見つめる。
体格のいい大きな身体。
やさしそうな目。
たくわえられた立派なひげ。
「ウチの家系はみな同じような体型になる。これは遺伝なのかもしれん。今は痩せているがお前もきっと太りだすはずだ。そして、いいかミツタカ、ひげを伸ばすんだ。立派なひげを蓄えろ。これは逃れられない宿命。お前もいずれ跡を継ぐことになる。そのときお前に、代々伝わる由緒ある赤い衣装を授けよう」
Jan. 18,2004