バッドモーニング
話には聞いていたが、まさかこんなにすごいとは!
無理やり押し込まれるようにして、また人が入ってくる。
もうこれ以上無理じゃないの、ってところからまだまだ入ってくるのだ。
駅員はいったいどんなテクを使っているのだろう。
これから毎朝、これに乗ると思うと、初日からうんざりする。
「カヲル」
自分の名を呼ぶ声がかすかに耳に届く。
身体をそらして、隣を見てみると同じ高校だったチグサがこっちを見て、にこっと笑った。周りの人の圧力で、その笑顔も苦しそうだった。
すごいね、といった感じのアイコンタクトを交わし、またもとの体勢に戻る。
停車するたびに、周りの体温を感じ、なんとなく気持ち悪くなりそうだった。
今まで、こんなに多数の人に囲まれると言う経験をしなかったからだろう。
目の前のおじさんのオールバックから発せられる整髪料の匂いが、気持ち悪さをさらに加速させる。
どうして世のおじさん方は、こうも特有な匂いを発するのだろうか。
そんなことを考えていると、腰の辺りになにやら違和感が。
混んでいるから偶然に触れているのだろうと思っていたのだが、どうも違うようだ。
執拗に腰の辺りを撫で回しているとしか思えない。
まさか、これが……。
怖くなって、後ろを振り返ってみるのだが、みんなそ知らぬ顔をして、新聞などを見ている。
一体、どこからその手が来ているのか、見つけてやりたいと思ったが、体と体が密着しているため、下を見ることもかなわない。
腰の辺りをさすっていた手はだんだんと下に、行動範囲を移していく。
ちょうどおしりの辺りまで、何かを探し求めるようにくねくねと手は動いていった。
チグサに助けを求めようとするけれども、さっきよりもずいぶん離れてしまったようで、声をかけても届きそうにない。
どうしよう。
このまま黙っていた方がいいのかな……。
はっきり言った方がいいのだろうけれども、周りから見られることを考えると、なかなか声を発することができなかった。恥ずかしいという気持ちもあるし、声をだしたらもっと怖い目にあうんじゃないかという心配もあった。
いったん止んだと思って、ほっとしているとまたおしりの辺りに手があたる感触があった。
しつこい。
コロシテヤリタイ。
せめてもの抵抗で、きっと睨みながら振り返ると、手の感触はすぐになくなった。
そして、とうとう何も言い出せないまま、目的の駅で降りる。
ホームに立ち、電車の方を振り返ると、どこにでもいそうなスーツを着たサラリーマン風の男がこっちを見て、にやりと嫌らしい笑みを浮かべた。
恥ずかしさと怒りで、大声で叫びだしそうになったが、唇をきっと噛んで我慢した。
「なんかあったの?」
いつの間にか隣にチグサが立っていた。
「チカン……に遭った」
かろうじてそう口に出すと、チグサはびっくりしたように目を真ん丸くした。
「へ〜、やっぱ男でもチカンに遭うんだぁ」
半分感心したように、チグサは珍しそうにボクの方をじろじろと眺めている。
「カヲルかわいいから、女の子と間違えられたんじゃないの?」
そういって彼女はケラケラと笑った。
全く人の気も知らないで。
無神経な彼女に無性に腹が立った。
「ねえ、カヲル。ジュースおごってよ。アタシ早速金欠でさあ」
ボクの気持ちなんか全く意に介さない様子で彼女は言った。
「なんでいつもいつも……」
と、愚痴りながらも、ズボンのポケットに手を入れる。
「あ、まさか」
入れたはずのポケットに、財布はなかった。
Apr. 26,2003