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求愛的電波

 五時を告げるチャイムがなり、そそくさと書類を片付け始める。乱雑にちらばった紙切れをファイリングし、棚に収めていく。いつも思うのだが、最初からいちいち片付けていれば、最後にまとめてやる必要もないのではないだろうか。けど、それは思うだけで、結局はいつも同じ行動をしているのだが。
「アキ、これから飲みいかねえ?」
 同期のヨシダに声をかけられる。細身でメガネをかけて茶髪。どこにでもいそうな風貌で、ちょっとお調子者だが、信頼のできるやつだ。同期の中では一番仲がいい。
「あ、いいね。どこ行く?」
 ヨシダはケイタイのディスプレイを覗き込みながら、
「なんか新しい店できたんだってよ。四丁目のいつも行くラーメン屋あんじゃん? あの奥だってさ」
 周知のことだが、最近のケイタイは店の検索も出来る。他にも天気予報や、占い、株価の動きなど、さまざまな機能がついている。一昔前には考えられないことだ。
「奥? あー、あの焼き鳥屋だったとこじゃない。この前つぶれたじゃん」
 地図とにらめっこをしていたヨシダは、納得がいったように頷いている。
「そうかも。じゃ、特に地図見なくても大丈夫だな。じゃ、ちょっとヤマモトとか呼んでくるわ」
 そう言ってヨシダは隣の課の方に歩いていった。
 と、そのとき、胸のあたりに微かな振動を感じる。
 マナーモードにしていたケイタイの着信だ。振動が二回だったので、どうやらメールのようだ。折りたたみを開き、ディスプレイに目を落とす。
『さびしい』
 見慣れた着信先からのメール。
 ディスプレイはその四文字だけが表示されたが、それ以上の感情がぼくに飛び込んでくる。
「待たせたな。じゃ、行こうぜ」
 ヤマモトの他に二人を連れてきたヨシダが戻ってくる。
「わりい、ヨシダ。今日ちょっと帰るわ」
 乗り気だった気分もさっきのメールをみて、すっかり消沈してしまった。
 ヨシダは少し残念そうな表情を浮かべたが、どうやらこちらの事情を察したらしく「じゃ、また今度な」と言って、同僚を連れて会社を出て行った。
「ふうっ」
 その後姿を目で送り、小さくため息をついた後、ぼくも会社を後にした。
 会社から駅までが一〇分。その駅から家の最寄の駅までが二〇分。そして駅から家までは一〇分くらい歩かなければならない。トータル四〇分以上かかるわけだが、仲間内ではかなり近い方だった。片道一時間以上かかるやつもざらではない。都内の事情を考えるとそれもしょうがないのだろう。それにしても当然ながら通勤の時間に給料は支払われないわけで、例えば往復二時間だとすると年間で結構な時間を無駄にしているのではないだろうか。といっても、その時間をなんらかの趣味に有効活用していけば……
 などと考えている間に、轟音と共に電車がホームに入ってくる。
 座席は完璧なまでに埋まっていて、座れそうにない。とりあえず出口のドアに近いところに寄りかかる。人がたくさん乗っているため、むわっとした熱気が、身体を包む。とても快適とは言いがたい。
 何気なくケイタイを開くと、またメールが来ていた。着信時間は今より三分位前、ちょうど考え事をしていたときだろう。
『早く帰ってきて』
 ディスプレイの表示される文字が、ぼくを少し焦らせる。といっても電車を早く動かすことは不可能なわけで、どうにもすることはできない。
 ずいぶんと寂しがってるみたいだな。
 今朝まで一緒にいたのに。
 ベッドで共に過ごした時間を思い出す。彼女はぼくの前では本当に無防備で、遠慮なく身体を摺り寄せてくる。気分によってうざったいときもあるが、それは贅沢というものであろう。すっかりぼくに頼りきってる彼女を無下に扱うことは出来ない。恐らく彼女はぼくなしでは生きられないんじゃないか。そんなおごりきった考えまでもが、頭に浮かぶ。
 電車がホームに到着する。
 早く家まで行きたかったが、待たせたお詫びに彼女の好きなものでも買っていこうと、コンビニに立ち寄る。二四時間不眠不休の明かりを灯しているコンビニは、何もすることがない若者の格好の暇つぶし場と化していた。店の前でたむろっているガラの悪い子どもたちを避けながら、店内に滑り込む。
 いらっしゃいませと事務的な声に迎えられ、店内を物色する。何度か見たことのあるようなメンバーが雑誌を立ち読みしている。ぼくはいつも買っている週刊誌が発売されていることを思い出し、ついでに買っていくことにした。
 足早に店内を出る。
 外はすっかり日が暮れていて、街灯の明かりもポツポツとつき始めていた。
 ここら辺は閑静な住宅街なので、車通りもあまりなく、子どもたちが道路に落書きをしていることもあった。さすがにこの時間帯ではその子どもたちの姿も見えない。みな家で夕食を待っているのだろう。そして、彼女もまたぼくの帰りを今か今かと待っているに違いない。そう思うと自然と足も速まった。歩みと共に、ビニールの袋ががさがさと音を立てる。
 ほとんど駆け足のような状態になり、ようやくマンションの前まで来たときには、息が切れていた。
 エントランスを通り、エレベーターに乗り込む。
 エレベーターはすぐに止まり、その中で息を整える。急いできたと知られるのが、なんだか恥ずかしいような気がした。彼女としては急いできてもらった方がうれしいのだろうが、ぼくとしては自分の方が下に感じるような気がした。ちっぽけな男の見栄かもしれないが。
 ようやく家の前に到着し、そこで大きく深呼吸をする。
 内鍵はしてないはずなので、鍵穴にキーを差込み、ゆっくりと回す。
 彼女を驚かそうと、ちょっとしたいたずら心が芽生える。
 できるだけ慎重に、音を立てないように開けたつもりだったのだが、開いた瞬間に彼女はぼくの胸に飛び込んできた。
 そして、ぼくの顔をペロペロなめた。
 くすぐったかったが、そのまま彼女を抱き上げ、部屋の奥まで進んでいく。
 一旦彼女をベッドの上に乗せ、台所から皿をもってきて、さっき買ってきたミルクをついでやる。
彼女はうれしそうにぺちゃぺちゃと、それを飲み始めた。
「ネコの言葉が分かるのはうれしいけど、さすがにメール機能まであるのは考えものだな」
 言葉ではそう言っていても、目は愛しそうに彼女の方を見つめていた。

June 13, 2003


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