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かなわぬ想い

 あざ笑うかのように、大粒の雨が背中をうつ。
 折りたたみの傘がカバンの中にあるのを思い出したけど、こうやってうたれてた方が今の自分にぴったりと思い、びしょぬれになりながらゆっくりと歩いた。冷たい雨がアタシにまとわりついてるすべてを洗い流してくれるはず。
 けど、三分後には、寒くなって走り出した。
 見事なまでにヌレネズミだったけど、結構な距離を走ってきたので、身体はポカポカ温かかった。家に着く頃には、水蒸気がもわっとでてきて、ちょっと微妙な感じだった。湯気が出てきてお風呂上りみたいだったけど、あいにくスッキリとは程遠い。むしろ肌に張り付く衣服が気持ち悪くて、三分前の自分を恨んだ。
 ポケットを探り、お土産にもらったキーホルダーを取り出す。じゃらじゃらとペットボトルのおまけなんかと一緒に家の鍵が出てくる。
 がちゃりと開けて、はい、ご到着。
 後ろ手に鍵をかけ、水分を吸って重くなったシャツをハタハタと引き剥がす。
「あら、ずぶ濡れじゃん」
 奥から見慣れた顔が出てくる。面倒なのでコメントは控える。
「傘持ってなかったっけ?」
「持ってた」
「なら何でささないの?」
「何となく」
「どうせ悲劇のヒロインぶりたかったんでしょ」
 するどい。
「あんたね。思ったことを素直に言ってると友だちなくすよ」
「友だちいないもん」
「だからいないんだよ」
「なるほど」
 洗濯籠の中に濡れた服を投げ込んで、バスタオルで身体を拭く。髪切っといてよかったなぁとしみじみ感じる。長いままだと乾かすだけで結構な時間がかかる。
「あんた、何見てんの?」
 視線を感じて振り返る。まじまじと感心するような目であいつがこっちを眺めてる。
「いやぁ、お前も成長したなぁって」
「ヘンタイ。あっち行っててよ」
「はいはい」
 一応身体をバスタオルで隠し、やつが行くのを見送る。それからパジャマ代わりに着ているスウェットに着替えた。まだちょっと濡れてる気もするが、まあいいかと思い無視する。
 あいつはボーっと部屋の隅に座ってる。
「犬みたいね」
 髪をばさばさと拭きながら、冷蔵庫からよく冷えたビールを取り出す。
「いや、おれは犬以下だな」
「否定はしないわ」
「否定してよ」
「却下」
 ベッドに腰掛け、プルタブを引っ張るとプシュというこの世で最も素敵な音がした。
「何よ」
 また視線を感じる。にやにやしながらこっちを見てるあいつ。無邪気で憎めない得な顔。
「またフラレたの?」
「女を見る目がないのよ」
「フラレたんだ」
「うるさい」
 うふふふと女の子みたいな笑い方をして、あいつはこっちを大きく伸びをした。ばつが悪いので、できるだけあいつの方を見ないようにして、テレビのスイッチを入れる。静寂だった部屋に喧騒が混じりこむ。画面の中ではちょうど二枚目の俳優が、ちっちゃい顔の女優に別れを告げているところだった。それを見てあいつは声をあげて笑った。
「あんたねえ。人の不幸がそんなに楽しいわけ?」
「いやいやいや滅相もない」
「滅相もないという顔じゃないけど」
 そう言うとあいつは真面目ぶって正座をしやがる。
「これでよろしいでしょうか」
「勝手にしなさい」
 すぐに正座をやめ、足をのばした。
 しばらくテレビの音だけが、部屋を占拠する。
 アタシは疲れてて、何もしゃべりたくなかったし、あいつはあいつで言葉を捜してるようだった。お互い黙ったままテレビの画面をみつめる。はじめてみるドラマだったので、どういうストーリーなのかイマイチ分からなかったけど、とりあえず時間をつぶすには十分だった。
 テレビがCMに入ると、再び生の声が部屋に生まれる。
「泣くなよ」
「泣かないわよ」
「おれがいるから」
「あんたなんていてもいなくても同じよ」
 あいつは少し寂しそうな顔をする。捨てられた子犬みたいな、みんなから同情を誘う顔。感情の起伏が少なく、いつも仏頂面なアタシには真似できない顔だ。それを見て、ちょっと言い過ぎたかなと後悔した。
 再び沈黙が訪れる。
「おれがお前を抱いてあげれば」
「できないでしょ」
 うつむくあいつ。いつもカラカラと笑っているだけに、こういうときのあいつの顔は言葉以上の説得力がある。全身から寂しさのオーラが噴出して、空中で罪悪感に変化して、アタシに降りかかってくる。自分が悪役になったような気がして、謝らざるを得なくなる。
「言い過ぎた」
「いや。ホントのことだし」
 三年間。
 中学や高校なら卒業してしまう年月。
 オリンピックがやってくるには一年足りない年月。
 あいつとアタシがこの部屋で暮らしている年月。
 長いようで短く、短いようで長い。
 アタシは、あいつのことが好きなのかもしれない。
 でもそれは叶わぬ想いだ。
 あいつにはずーっと想っている人がいる。いや「いた」と言った方が正しいのかもしれない。
 近所のアパートに住む、髪の長いきれいなヒトなのだそうだ。
 彼女への一途で純粋な想いを抱えたまま、あいつはここにいる。
 だが、その想いも結局は果たされることはなかった。
 彼女は三年前、交通事故で亡くなってしまった。
 居眠り運転の乗用車が歩道に突っ込んだらしい。避けようとしたのだが、車のスピードには勝てず、そのままブロック塀にはさまれたそうだ。
 耐え難い惨劇だったのだろう。
 その後、この男はこの部屋で首を吊った。
「なに? 泣いてんの?」
「うるさいわね」
「泣くなって。そんなにいいオトコだったの?」
「そんなんじゃないわよ」
「じゃ、なんで泣いてるの?」
「あー、うるさい。うるさい」
「そうそう。その調子で元気だしてよ、おれみたいにさ」
「てか、あんた死んでるでしょ」
 あいつは「確かにそうだ」と言いながらケラケラ笑った。
 その様子につられアタシも笑った。
 もしこの世に神様がいるならば、このデリカシーのない男を、もう少し成仏させないでください。
 心の準備ができるまで、あと少しでいいから。
 そんなことはお構いなしに、あいつはまだ笑い続けている。
 まったく、人の気も知らずに。

June 23, 2004


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