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嘘つきは神の使いのはじまり

「どうしたんだよ。落ち込んじゃって」
 目の前に置かれたプリンをすくいながら、向かい側に肩を落として座っている男に声をかける。
 午後のファミレスは、夏休み中ということもあってか、結構人がいる。さっきから嬌声を上げて、走り回る子どもがうるさい。
 アイスをこねくり回しているヨシヒロは、少し上目遣いにおれの方を見た。
 まるで捨てられた仔犬みたいだ。ま、そんなにかわいくはないが。
「実はさ、昨日車に傷がついちゃって……」
 言葉と一緒に大きく息を吐き出す。ため息をつくと、シアワセが逃げると聞いたことがあったおれは、すぐさまそのため息を手で捕まえた。あまりの俊敏さにヨシヒロは身体をのけぞらせた。
「な、なんだよ。急に」
「おまえの口から漏れたシアワセをいただいたんだ」
「は?」
「まあいい。気にするな」
 納得いかなそうな顔をしながらも、ヨシヒロはそれ以上尋ねてはこなかった。おれは何事もなかったように、プリンを摂取し続ける。食後のプリンというのは格別であった。
「ちょっとコンビニに行って、帰ってきたらさ。なんか一本線が入ってるわけよ」
 勝手にいきさつを話し始めるが、おれはこの至福のひと時を邪魔されてなるものかと、食べながら適当に「うんうん」頷いた。
「あれって初めての新車なんだぜ。わかるよな?」
「うんうん」
「休みも返上して働いてさ」
「うんうん」
「ようやく手に入れて買ったっていうのに」
「うんうん」
「すげーショック」
「うんうん」
「もう全財産使っちまったから、おいそれと修理代もでないし」
「うんうん」
「はあぁ。やんなっちまう」
「うんうん」
「なぁ、タツ。金、出してくれない?」
「なんでおれが」
「そこは、うんうんって言わないのかよ」
「うんうん」
「はぁ」
 ようやく全てをたいらげ、満足の息をつく。手を合わせて「おそまつさまでした」とつぶやく。ヨシヒロの前にはさんざんこねくり回されて、取り残されたアイスが溶け始めている。かわいそうに。もったいないお化けがでるぞ。
「実はな」
 ナプキンで口を拭きながら、ヨシヒロの注意を引く。やつは視線だけをこっちに寄越す。
「誰にも言うなよ」
「なんだよ」
「お前、口軽いからなあ」
「軽くないっての。今までなんかばらしたことがあったかよ」
「なら信用して言うが」
 そこで少し間をためる。
「宝くじが当たったんだ」
 ヨシヒロは、癌を告知されたかのように目をまん丸に見開いた。
「まじで? いくら?」
 辺りの視線を気にしながら、小声で尋ねてくる。いくらなんでも、周りの客から金の無心をされるとは思えないが。
「五〇万」
「ご、五〇万!」
「てへ」
「てへじゃねえよ。いつ当たったんだよ」
「二ヵ月前」
「なんで黙ってんだ?」
「だって寄越せって言われるだろうが」
「そりゃ言うよ。だって五〇万だろ」
「そんな大げさな。五〇万なんて、百万の半分だよ」
「それは何を表現してんだよ」
「事実を」
「訳がわかんないことを言うな。その、まだ残ってんだろ、当然」
「うん。一万円分焼肉で使っただけ。ひとりで」
「ひとりでかよっ。誰かと行けよ」
「だって金かかるじゃん。おごったら」
「相変わらずケチくさいな」
 小声だったヨシヒロの声もだんだん音量を増していく。それに伴って唾が飛んでくる確率も高くなる。ヨシヒロは何を言おうかと考えている。もちろん内容はいかにして、おれから金を引き出そうとするかだろうが。今までに見たこともないような真剣な顔で、長考している。ただ待っているのも暇なので、残っている紅茶を口にする。プリンの後だからほとんど甘さを感じなかった。
「くれ」
「は?」
「金」
 考えた末の結論がこれか。こいつは馬鹿だな。
「そう言って出すやつがいると思うか?」
「だよなぁ」
 ヨシヒロは素足でガムをふんずけたような顔をして、ソファーにもたれかかった。
「いくら欲しい?」
 絶妙なタイミングでおれが言うと、ロープに飛ばされたレスラーのように、ソファーから跳ね返ってきた。 おもしろ。
「えーと、うーん。じゅ、十万くらい? いや、そんなかかんないかな。でも、あんまりない塗装だし。あー。どうなんだべなぁ。てか、くれるの?」
 おれはニヤリと微笑む。左の唇の端だけを上げる、あくどい微笑み。
「その笑顔はどういう意味だよ」
「やるよ」
「マジか!」
「普段、世話になってるしな」
 救われた子羊の表情を浮かべ、ヨシヒロはおれの手をにぎった。
「心の友よ」
「よせよ」
「さっきはケチだなんて言ってすまなかった。お前はきっと神の使いに違いない」
「大げさな」
 妙に熱を帯びているヨシヒロの手を引き離し、おれは財布から一万円札を十枚取り出す。そしてそれをテーブルの上に置く。
「ほ、ほんとか」
「今、やるって言っただろ」
「てっきりまた、いつものように嘘かと」
「人を大嘘つきみたいに言うなよ」
「だって……。いや、お前はやはり神の子だな。現にこうして金をくれるんだから」
「お前の神は現金か」
「うん」
 歓喜にむせかえり、涙ぐみながら、ヨシヒロは金を受け取った。そんなヨシヒロの姿を見ると、おれも救われるような気がした。
 それからやけにテンションがあがったヨシヒロと五分くらい話をして、おれらはファミレスを後にした。
 帰り際、ヨシヒロは何度もおれに頭をさげ、どういうわけか、手まで振って、おれを送り出してくれた。「恥ずかしいから、やめろよ」と手で追い払う合図をして、そのままヨシヒロと別れた。
 嘘も方便とはよくいったものだ。
 帰り道を歩きながらそう思った。
 実は宝くじが当たったというのは真っ赤な嘘だった。
 店に呼び出されるときの電話の様子が妙に沈んでいたので、これは金だなと察して、貯金を下ろしていったのだ。案の定、予想通りの展開となり、予想通りの結末となった。いきなり金をあげても怪しまれると思い、あんな嘘をついたのだった。
 それにしてもまぁ、十円玉であんなに傷がつくとはな。
 ポケットから、赤の塗料がついた十円玉を取り出し、おれは大きくため息をついた。

Sep. 13, 2004


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