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彼のバッグとぼくのうどん

 午後からの面接を考えると気が重い。
 それなりに練習をしてきたとはいえ、やはり緊張の度合いが違うものだ。
 普段着なれないスーツもまた、身体全体に重くのしかかる。
 しかも最近はこの不景気だ。内定さえも取り消されるくらいである。
 ぼくみたいな何の取り柄もない男が果たして採用してもらえるのだろうか。
 また胃がきりきりと痛む。
 そんなに食欲もなかったが、とりあえず何か腹に入れておこうと思い、近くのデパートのフードコートまで来てみた。
 ちょうど昼時ということもあり、店内はそれなりに活気にあふれている。六割くらいの席が埋まっているだろうか。
 小さい子を連れた母親、作業着姿の男性たち、線が細い学生らしき青年。さすがに平日なので中高生の姿はない。
 こんな心境ではそんなに重いものを食べられそうもなく、ぼくはかけうどんをトレイの上に乗せ、どこの席に座ろうか辺りを見回した。
 窓際に、四人掛けの席が空いており、そこに座ることにする。
 テーブルにトレイを置き、椅子に座ったとたん溜息がでる。
 はぁぁ。
 我ながら気が小さい。
 何とか、うどんを胃に流し込み、一息つく。
 時計を見ると、まだ面接までは三〇分以上ある。
 とりあえずボーッと周りを見渡す。
 楽しそうに談笑している人たちもいれば、ひとりでケータイをいじっている人もいる。改めて見回すと、人それぞれでなかなか興味深い。
 そこでふと、ひとりに青年に目がいった。
 痩せ型で、黒の太いフレームのメガネをかけ、青のストライプのシャツを着ている。どこにでもいそうな最近の若者といった風体だ。
 ぼくは彼に、というか彼の持っているバッグに興味をひかれた。
 色といいデザインといい、前から欲しいなと思っていたぼくの理想にぴったりだった。
 どこのメーカーなのだろうか。いいなぁ、あれ。
 彼はそのバッグをテーブルに置くと、出来上がった料理を取りに行った。
 そのとき、グレーのスーツを着た中年の男性がそのテーブルに近付いてきた。
 身にまとっている雰囲気からいって、さっきの青年と知り合いとは考え難い。三〇後半か四〇前半。仕事ができるサラリーマンといった風貌だ。
 そのサラリーマンらしき男性は、さっきの彼が席を立つのを見計らっていたようなタイミングで、彼のバッグに近付いていく。
 男は、後ろをちらっと一瞥すると、慣れた手つきでバッグを探り、次の瞬間、手には茶色の財布を持っていた。
 え?
 あれってもしかすると、……置き引き?
 目を丸くしてそれを見ていると、スーツの男はどんどん席から離れていってしまう。
 え、どうしよ?
 え? えっ?
 料理を取りに行った彼が戻ってくる。
 バッグはさっきと同じ場所にあり、見た目に異状はない。
 彼はそのまま席につき、ラーメンを食べ始めた。
 ぼくはドキドキしながら、去っていったスーツの男を探す。
 きょろきょろ見回すが、もうかなり遠くまで行ってしまっており、やがて視界から消えた。
 頭をフル回転させ、いろいろな可能性を考える。
 彼らはが知り合い、または兄弟で財布を借りていった?
 絶対にないとは言い切れない。ただあの取り方は他の人に気づかれないようにという手つきだった。
 というか、知りあいでも勝手に財布持っていったらマズイよな。
 頭の中でその可能性にバツをつける。
 ここでぼくが彼に財布とられましたよと教えたら?
 絶対不自然だ。
 というか、何で止めなかったのかと怒られるかもしれない。
 それに今更そんなことを言われても、といった感は否めない。
 もし警察沙汰にでもなれば、時間をとられることは必須だ。
 さっきのスーツの男を探す?
 それが一番いいような気が……。
 ただ、もうどこに行ったか分からないし、しらを切られたらこっちが変に思われるかもしれない。
 逆ギレでもされたらどうなることか。
 あー、どうすればいいんだ。
 あんな光景、見なければよかった。
 えーと、えーと。
 うーん。
 ……見なかったことにすればいいかな?
 それが一番無難だよな。
 うん。
 そうだそうだ。
 ぼくは何も見なかった。
 だから何も知りません。
 彼の財布がとられようと、ぼくに実害はないわけだし。
 ちょっと今日は忙しいし。
 力弱いし。
 気も弱いし。
 自分に対して言い訳をしながら、ふと目をあげると、ラーメンを食べ終えた彼が席を立とうとした。
 あっ。
 トレイを持ち上げ、食器を下げに行く。
 どうしよ。
 本当にいいのか?
 このまま何もしないでいいのか?
 ……いや、ダメだろ。
 人間として。
 ぼくは自分のトレイを手にし、急いで食器を下げると彼のもとに走った。
 突然走ってきたぼくの姿に彼はぎょっとしている。
「あのっ」
「はい。なんすか?」
「バッグの中、財布あります?」
「財布? なんで? なんなんすか?」
 そう言いながらも彼は自分のバッグの中をがさごそと探る。
 さて、次は何て言おうか。
「ありますけど?」
「えぇっ」
「ほら」
 彼はバッグの中から黒い財布を取り出して、ぼくの前に突き出した。
「なんなんすか、一体?」
「え、なんで? あ、いや、何でもないです。すみません。勘違いでした」
「はあ」
 不審な目でぼくをちらっと見て、納得いかなそうに溜息をつくと、彼はそのまま立ち去った。
 納得いかないのはこっちだ。
 確かにさっきあの男は財布を手にしていた。
 なのに、なんで今、バッグに入っているんだ?
 幻覚?
 こんな真昼間から?
 なに? なんなの?
 どうなってるの?
 しばらく立ちつくしていると、周りから変な眼で見られていることに気が付き、慌てて近くの椅子に座る。
 頭で状況を整理しようとするが、当然ながらまとまらない。
 ただただ混乱するばかりである。
 男の手にあった財布は何なのか?
 ただの見間違いだったのか?
 たくさんの疑問符が頭の上に散乱している。
 ふと時計を見ると、もう結構な時間が経過している。
 あ、そろそろ行かなきゃ。
 混乱する頭をひきずりながら、ぼくはフードコートを後にした。
 面接会場である会社まで、さっきのことが頭を支配し、昨日まで練習していたことは遥か遠くに追いやられてしまっていた。
 こんな状態で、ちゃんと面接できるのだろうか。
 というか、マジであんな光景見なければよかったよ!
 待合室の椅子に腰掛け、とりあえずバッグから手帳を取り出し、メモしていたこと見直す。
 自己PR、志望動機、会社理念などなど。
 目は字を追っているのだが、中身は全然頭の中に滞在してくれない。
 こりゃもう今回は、だめかな……。
 自分の名前が呼ばれ、面接室に入る。
 多少うつむいたまま、自分の名前を名乗る。
 そして目をあげた瞬間、思わず「え」と口にしていた。
 真ん中にいる面接官は不思議そうな顔でこちらを見上げ「どうかしましたか?」と尋ねてくる。
 ぼくは「え? あ、いやすみません」と謝りながら頭を振った。
「では、どうぞお掛けください」
 そう促され、パイプ椅子に座る。
 面接官は三人。
 恐らくこの会社のお偉いさんなのだろう。
 でも、右側の人って……。
 見間違い、かなぁ。
 グレーのスーツを着て、ノンフレームのメガネをかけたおじさんが、にこにこしながらこちらを見ている。
 質問はもっぱら真ん中の人がしてきた。
 ほとんどが想定していた質問だったので、反射的にそれに答えていく。練習の賜物だった。
 そつなく答えていく自分に口に、我ながらびっくりだ。
 一通りの質問が終わり、今まで黙っていた右側の面接官が口を開いた。
「もし、目の前で犯罪行為が行われたら、あなたはどうしますか?」
「え?」
 想定外の質問だ。
「どうします? 見て見ぬふりですか?」
 尚も男は聞いてくる。
「いえ、何か行動を起こすと思います」
「何かとは? その行為を止めたりですか?」
「いえ。わたしは気が弱いので、そういうことはできないかもしれません。ただ、警察に通報したり、周りの助けを呼んだり、小さなことかもしれませんが、自分の出来ることをしたいと思います」
「なるほど。分かりました。結構です」
 面接官は微笑みながらそう言った。
「何か質問はありますか?」
 彼がそう言葉を続けたので、ぼくは思わずさっきのことを尋ねようとした。
 が、もし違っていたら失礼だし、聞いたところでどうなるものでもないなと思い、開きかけた口を閉じた。
「何もないのでしたら、これで面接は終了です。おつかされまでした」
「あ、はい。ありがとうございます」
 席を立ち、頭を下げる。
 部屋を出ようとすると「あ、そういえば」と後ろから声をかけられた。
 振り返ると、グレーのスーツの面接官が「うどん、おいしかったですか?」と聞いてきた。
 その手には、ぼくがあのとき見た茶色の財布がある。
 驚いて声も出なかったぼくは、ただ何度も顎を引くだけで精いっぱいだった。
「そうですか。それはよかった。では後日結果をお伝えします。今日はお疲れ様でした」
 それに対し、なんとか「ありがとうございます」と言葉をしぼりだし、ぼくは部屋を後にした。
 え?
 えーーーーーーーー?
 心の中で叫び、早足で建物を出る。
 なにがどうなってんだ?

 後日、ぼくはその会社に採用された。
 そしてあのときの面接官がとてもいたずら好きで、手品が趣味であるということも知った。
 趣味の悪い面接だったが、何はともあれ受かってよかった。
 でも、もしあのとき、ぼくが何もしなかったら、果たしてこの会社に受かることはできたのだろうか。
 それは永遠の謎である。

May 28, 2009


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