home > text > long

チイサナサツイ

 きっかけは些細なことだった。
 すべてはある日の給食からはじまる。
「あれえ、ヨウコのプリンないんじゃない?」
 みんなに聞こえるような大声を出しながら、体格のいい少年が辺りを見回す。短く刈り込んだ髪、切れ長の目、中学生と言っても通じるほどの背の高さ。クラスでこのマサタカに逆らえるものはいなかった。全てが思惑通り、小さな絶対王政である。
「なんでなんで。ちゃんと数あったでしょぉ」
 髪を編んだ眼鏡の女の子がマサタカに続く。学級委員の彼女は事件が起こるたびに、その場を仕切ろうとする。みな辟易していたが、リーダーシップがあるのは確かで、大人しく従っていた。下手に逆らうと自分が痛い目にあうのも目に見えていた。
「あっ。ヨシユキなんで二つ食ってんの?」
 その言葉にひとりの小柄な男の子が身体をびくっと振るわせた。そして泣き出しそうな表情を浮かべ、自分の机の上にあるプリンを凝視している。みなの視線が一斉にヨシユキのところに集まる。
「ほんとだ。なんでヨシユキ二つ持ってんだよ」
「そうよそうよ」
 小学生というのは誰かが口火を切ると、堰を切ったようにみながまねをしだす。周りと同じようにという日本のお国柄をよく表している。口々に文句を小さな男の子にぶつけている。その一斉放射に少年は泣き出す寸前だった。
「こ、これはマサタカくんがあげるって」
 騒ぎの真相を頼りなさげに打ち明けるのだが、周りにとってそれは弁明にしか聞こえない。むしろ火に油を注ぐ結果となった。
「はぁ? おれのせいにするのかよ」
 怒りに満ちた表情でマサタカはヨシユキを睨んだ。ヨシユキは彼の目を見ることさえできず、ただうつむいて目をぎゅっと閉じている。
「ヨシユキ、人のせいにすんなよ」
「そうよ。卑怯よ」
「卑怯者」
「信じられない」
 言葉の刃が次々とヨシユキを貫く。
 無垢で残酷な子どもの特権。
 それはあまりにも酷い。クラス中に卑怯コールが巻き上がり、ヨシユキは四面楚歌に追いやられた。もともとヨシユキは気が弱く、それほど仲のいい友だちもいなかった。誰も彼をかばうものはなく、ただひとり、標的になるがままだった。顔は紅潮し、唇がわずかに震える。そんな彼の様子をマサタカは冷笑を浮かべながら、面白そうに見ている。
「もういいよ、みんな。そんなにヨシユキのこといじめるなよ」
 クラスのテンションがピークになったところで、マサタカが声をあげた。視線はヨシユキからマサタカに移る。
「ヨシユキだって悪気があったわけじゃないし」
 全てを許すような偽りの笑みを浮かべ、マサタカ二度三度頷く。ヨシユキは何も言えず、ただただうつむいている。
「えらーい、マサタカくん」
「かっこいい」
「さすがね」
 さっきまでの非難はどこへやら、今度は一斉に賞賛の声があがった。みんなヨシユキのことなどなかったかのように、マサタカに羨望の眼差しを向けた。
 その日から、ヨシユキの存在はみなの中から消えた。

 無視というのはもっとも陰湿ないじめといっていいだろう。
 ヨシユキは空気のような存在になり、クラス中から徹底的に無視された。
 プリントを渡すときに自分の番をとばされ後ろの人に回され、給食当番のときも誰も自分の分を用意してくれない。もともと友だちとあまり話すタイプではなかったこともあり、見事なまでに彼の透明人間化は進んだ。
 一方マサタカは、その一件を機に、自分の権力をゆるぎないものとしていた。
 はめられたとヨシユキが気づいたのはそれから数日後であった。
 そのときにはもう遅く、ただただ毎日を透明のまま過ごした。最初のうちは泣きたくなることもあったが、だんだんそんな感覚も麻痺しだし、ついには学校にも行かなくなっていた。
 いじめからの登校拒否。
 文字にしてしまえば簡単なことだが、実際は陰湿で悪意に満ちており、被害者の命を左右しかねない問題だ。被害者以外には到底その恐ろしさは理解できるものではない。声高々に「学校に来よう」と呼びかけている人たちは実際に同じ目にあってみればいい。そうすれば決して同じことなど言えなくなるはずだ。彼らの痛みも分からずに、無責任な言動を飛ばすオトナたちは、加害者の一環と言っても過言ではない。
 はじめのうちこそ義務的にクラスメイトが彼の家を訪れたが、その数もだんだんと減り、ついには誰も来なくなった。中には本当に彼のことをほとんど忘れてしまっている生徒もいた。
 ヨシユキは一日の大半を家で過ごした。
 テレビゲームに興じたり、インターネットの仮想現実の中に身をまかせた。ネットの中では匿名だとはいえ、自分の存在が確実に相手に認知されていて、わずかに心がやすらいだ。自分は確かに存在しているということを実感できたからだ。
 明け方までゲームをし、昼間は寝ているというサイクルが続く。
 何とかしなきゃと気は逸るのだが、結局何もできず、ぬるま湯の中につかっているだけだった。そんな自分が嫌になりつつあったが、それよりもマサタカのことを許せないという気持ちの方が強かった。今まで波風立たせず、みなの邪魔にならないように過ごしてきた自分が、どうしてこんな目にあわなきゃならないだろうと理不尽に思った。それまで人に対して怒りという感情を持つことがなかった彼だが、今度ばかりは怒りを通り越し、殺意という段階までたどりつつあった。
 いつかマサタカに復讐してやりたい。
 負の感情は募るばかりだったが、生活のサイクルは依然として変わることがなかった。

「なら殺しちまえよ」

 ふと誰かの声が聞こえた。
 辺りを見回すと、自分が宙に浮いていることに気づいた。しかも星が一面に煌めく宇宙だ。ヨシユキは自分が夢を見ているのだと思った。そうでなければこの現象は説明できない。
「憎いんだったら、殺しちまえばいい」
 さっきの声がまた聞こえる。キョロキョロと周りを見回すが、どこにも姿は見えない。夢だからこういうこともあるのだろうと自分を納得させていると、
「こっちだ、こっち。上を見ろよ」
 と言う声がし、見上げるとそこには奇抜な格好に身を包んだ、小さい子ども(?)が浮いていた。全身黒ずくめで、フードのようなもので頭を覆っている。手には大きな鎌をもっていた。前に漫画で見た「死神」に似ているとヨシユキは思った。
「お前が殺してくれると、こっちも魂が手に入り好都合だ」
 そう言ってククククと笑いながら子どもはフードをとった。青に近い透き通る白い肌。髪は鮮やかな銀髪である。一見して小学五年の自分よりももっと幼い。恐らく二年生か三年生くらいの身長だろう。だがその小さい身体からは言葉では言い表せないような、とてつもないチカラを感じる。妖気、殺気、邪気……。そういう類のものだろう。
「あの、キミは?」
 勇気を振り絞って声をかけると、小さな子はニッと笑い、自分の目の高さまで降りてきた。手を伸ばせば届くところまで銀髪の子は降りてきた。ほんの十数センチのところまで顔を近づけてきて、ヨシユキをじっと見つめる。思わず目をそらしたくなったが、あまりにも圧倒されてしまい、それさえも叶わない。ふたりはしばし、見詰め合った。
「オレサマはネガルだ」
 そのままの体勢で、小さな子が名乗った。
「あ、ぼ、ぼくの名は」
「タカミヤヨシユキ、十一歳、現在いじめに遭い引きこもり中」
 ヨシユキの瞳を覗き込みながら、まるで資料を読むかのようにネガルが言った。ヨシユキは面食らって、一歩あとずさる。満足そうにネガルはにやっと笑った。笑顔だけ見れば、子どもといっても構わないが、身にまとっているオーラは人間のものとは思えない。それほどに禍々しく、黒いオーラが目に見えるようだった。
「それくらい言わずともわかる」
「は、はあ」
「それよりもだ」
 言葉を区切り、一息ためる。ヨシユキはごくりと唾を飲み込んだ。
「な、なんでしょう」
「ナカモリマサタカのことを殺したいのであろう」
「え?」
「お前の負の感情がリミッターを超えておる」
「負の感情?」
「ああ。お前の場合は特に『殺意』がたまっておる。それを解消してやろうと、わざわざオレサマが来てやったわけだ」
「解消するって、どうやって?」
「決まっておろう。お前の望みを叶えてやるのだ」
「マサタカくんを、殺すってこと?」
 当たり前じゃないかというふうに眉をあげながら、ネガルは首を縦に振る。
「それが、お前の望みだろ?」
 あっさりとそう言われ、ヨシユキは言葉につまった。今までそれを願っていたとしても、こう言葉にされてしまうと、気が引けてしまうのも事実だった。殺してやりたいと思ってはいても、その方法までは考えたこともなかった。所詮、空想、妄想、ただの絵空事に過ぎない。
「でもどうやって?」
 おずおずとネガルに尋ねる。わが意を得たりとばかりにネガルは笑みを浮かべた。
「方法はお前が考えずともよい。決してお前が疑われることもない。ただ殺してやりたいと思えば、オレサマが願いを叶えてやる。どうだ、本当に殺したいと思っているか?」
 少し逡巡したのち、ヨシユキはコクリと首を縦に振った。
 それほどまで追い詰められていたということもあるが、何よりここまできたら後戻りできないという思いの方が強かった。ここで意見を取りやめてしまえば、自分の命が危ないと思えた。そう思わせる何かが目の前の少年にはある。
「ふむ。では目を閉じよ。お前をこの世界から出してやる」
 右手をヨシユキの前にかざすようにして、ネガルが言った。言われたとおり目を閉じると、だんだん意識が遠のいた。すぐに彼の意識は深い闇の中へ落ちて行った。深い、深い闇の中へ……。

 窓から差す日差しを浴び、ヨシユキは目を覚ました。
 どうやらカーテンを閉め忘れたらしく、まぶしいくらいの日光が部屋の中に容赦なく降り注いでいる。
「夢か」
 ベッドの上で半身を起こすとそこにはいつもと変わらぬ日常があった。積み重ねられたマンガに、出しっぱなしになっているゲームソフト。食い散らかされたお菓子。どこにもおかしな点はない。
 それにしても、今までのはただの夢だったのだろうか。
 さっきまでのあまりにもリアルなやりとりが、まだはっきりと脳裏に焼きついている。普段ならば曖昧にしか覚えていることができない夢だが、今日ばかりは一語一句はっきり思い出せるほどにインパクトが強かった。決して夢とは思えない。だが、かといって本当にマサタカが死ぬのだろうか?
 学校に行こう。
 真相を知るためにはそれが一番確実だった。もし学校にマサタカが来ないようなことがあれば、もしかしているかもしれない。学校に来ているならば、夢だったんだとあきらめ、すぐに帰ってくればよい。
 久しぶりの外の空気はとても新鮮に感じられた。今まで部屋にこもりっきりだったのだから無理もない。何年も通っている通学路でさえ、目新しい感じがする。鎖でつながれた大きな犬や、いつも散歩しているおばあさん。ひとつひとつを目で確認しながら、学校へと着く。
 校門までたどり着くと、さすがに少し入るのがためらわれた。どんな顔をしてクラスのみんなに会えばいいのだろう。また無視されるのだろうか。それとも歓迎されるのだろうか。誰だ?って顔をされたらどうしよう。考え出すときりがなかったが、ここまで来て帰るのもなんだなと思い、ヨシユキは学校に足を踏み入れた。
 階段を上がり、教室の前で一度立ち止まる。深呼吸をしてドアを開ける。みな少し驚いたような顔をしたが、特に声をかけてくるということもなく、ヨシユキは黙って席についた。何人かの女子がこそこそと話をしていて居心地が悪い。きっと自分のことを噂しているのだろう。
 チャイムが鳴り、先生が教室に入ってくるとざわめきも収まった。いつもよりも深刻で、険しい顔だった。そんな先生の様子を悟ったのか、教室にも緊張感がピンとはりつめた。
「みんな、よく聞いてくれ。昨日の夜、マサタカ君が誰かに襲われたみたいなんだ」
 教室がざわつく。ヨシユキは身体がカッと熱くなった。まさかそんな!
「突然後ろから刃物で刺されたようで、通りかかった人が見つけたときには、もう……」
 水をうったように教室が静まる。だがそれも一瞬のことで一気に教室中が軽いパニック状態に陥る。昨日まで一緒に遊んでいた友達が何者かに殺された。そんなことを告げられては気が動転してもおかしくない。中には泣き出してしまっている女の子もいた。ヨシユキは心臓が止まりそうなほど驚いた。そして昨日見た少年の顔がはっきりと頭の中に浮かんだ。間違いない。あの話は本当だった。こんな偶然、あるわけがない。
「まだ犯人は捕まっていないようだから、みんなもくれぐれも注意してくれ。ひとりで帰るということもないようにな。それから」
 先生が注意事項を述べているが、そんなことはヨシユキの耳には届いていなかった。
 あまりにも衝撃的な事実。
 マサタカが死んだ。
 自分のせいで、マサタカが。
 実際、何か手を下したわけではなかったが、ヨシユキはひどい罪悪感にさいなまれた。自分があんなことを望んだせいで、マサタカは命を失ってしまったのだ。殺してやりたいと思ってはいたが、いざ死んでしまうとその事態の重さに押しつぶされそうだった。
 自分のせいで。
 あんなこと言わなければ。
 殺したいなんて、言わなければ。
 死んで清々したなんてことは露ほども思えなかった。こんなことなら死ねなんて望むのではなかった。胸がはりさけそうになり、ヨシユキは教室を飛び出した。
 なんで?
 なんでこんなことに?
 泣きながら走った。走ると涙が顔中に飛び散った。それを手で拭い、ヨシユキは走り続けた。
 ぜえぜえと肩で息をしながら、自分の部屋に飛び込む。そしてそのままベッドの中へ倒れこんだ。

「どうだ、願いが叶った気分は」
 聞いたことがある声が耳元でし、ヨシユキはゆっくりと顔をあげた。今度は宇宙空間などではなく、自分の部屋だった。銀髪の少年がベッドの上に座り、ヨシユキの方をにやにやと見下ろしている。
 夢の世界の住人だと思った少年がベッドの上に座っており、ヨシユキは戸惑った。けれどもこれもまた夢かもしれない。ゆっくりと身体を起こし、少年の方をにらみつけた。
「ヤツが死んで清々しただろ?」
 ネガルがフードの下で目を輝かせている。妖しく光る両の瞳。狡猾で残忍な死神。普段なら失神してもおかしくないような迫力だったが、興奮状態にあるヨシユキは正面からこの小さな死神に挑んだ。
「清々なんか、しないよ」
 搾り出すようにそれだけ言うと、ネガルはおかしそうに笑い始めた。その様子をヨシユキは黙って見つめている。ひとしきり笑うと、ネガルはヨシユキの方に向き直った。
「殺そうと願ったのはお前だぞ。なにを今更後悔する?」
 その問いに、ヨシユキは言葉をつまらせた。確かに死んで欲しいと思ったのは事実だ。
「お前がヤツの死を望んだから、オレサマはやつを殺した。願いを叶えてやったのだから感謝されてもおかしくなかろう。なのにお前のその目はなんだ?」
 目を細め、ヨシユキの瞳を覗き込むようにしてネガルが言葉を続ける。
「お前がヤツの死を望まねば、ヤツは死ななかったのだ」
 下唇を噛み、ネガルの言葉を浴び続ける。確かに彼の言葉は事実だった。ヨシユキの殺意がマサタカを殺したのだった。
「だいたいお前がこんなところでひとりで、ウジウジと籠もっているのがいけないのだぞ。なにか一言でも言い返せていたら事態は変わっていたかもしれぬ」
 もし自分がただ言いなりになるのではなく、マサタカに言い返せていたら。
 もしはっきりと自分の意見を主張できたなら。
 もし自分で事態をなんとかしようとしていたら。
 いくつもいくつも「もし」が浮かんでは消えていった。ひとつでも自分が行動を起こしていたら、マサタカは死ななかったかもしれない。
 けれどももう遅いのだ。
「いろいろ考えているみたいだな」
 その一言がヨシユキの意識を引き戻す。ネガルはさっきよりも穏やかな目でヨシユキを見ている。
「だけどもう遅いよ」
「そんなことはない」
「え?」
「お前がそう考えるのを待っていた」
「ど、どういうこと?」
「お前は今夢の中にいる」
「夢?」
「ああ。ちょうどオレサマに会ったときからだな。そのときからのことは全て夢だ。お前が学校に行ったのも、マサタカの死を聞いたのも、全て夢の出来事だ。実際にマサタカは死んではおらぬ」
「そんな!」
「今からお前は夢から覚める。そうすればまた元通りだ。今までのようにこの部屋に籠もり、ヤツに殺意を抱くか、自分で何か行動を起こすか、好きにしたらいい」
 そういうとネガルは人差し指をヨシユキの前にかざした。三回その指を振ると、ヨシユキの意識はすぐに遠のいた。
 
 窓から差す日差しを浴び、ヨシユキは目を覚ました。
 時計を見るとまだ七時を回ったばかりだった。
 時間が戻っている。いや、そうではなくネガルが言った通り、さっきまでのは夢に過ぎなかったのだろうか。どちらにしても学校には行かなければならない。
 もしマサタカが学校にいたら、ぶん殴ってやろうとヨシユキは思った。


「ああ、これで今月のノルマは達成か。引きこもりの少年の殺意解消っと」
「お、ネガルじゃん」
「なんだ、お前か」
「なんだとはなんだ。こっちは一級天使サマだぞ」
「うっせえよ。すぐにオレサマが追い越してやるわ」
「ああ、無理無理。お前には天使(ANGEL)はつとまらないね」
「ふん。ネガル(NEGAL)の名に懸けてやってやるわ!」

Apr. 15, 2004


home | text | bbs