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比翼連理の永遠

 見たことのもない女の人だった。
 恋人だったのだろうか、さっきからずっと涙に暮れ、顔をあげない。けれどもそのたたずまいや雰囲気で恐らく美人であるということが推測できた。いまどき珍しい真っ黒な長い髪を束ね、黒い着物の上に乗せている。鴉の濡れ場色というのは、まさにこういう色のことをいうに違いない。
 タケノリとはそんなに親しい関係でもなかった。
 大学に進む際、田舎を後にしたぼくは、そのまま首都圏の方に就職を決めた。タケノリは実家にたくさんの土地を持っていて、そこで畑や田んぼなどを作っていた。地主ということもあり、土地代だけでかなりの額があった。左団扇で悠々自適の暮らしを満喫していたようだ。小さいころ、たくさんのおもちゃを持っている彼の家に、みんなでよく遊びにいったものだ。それから、つかず離れずの関係が続き、たまに実家に戻ってきたときに、みんなで飲みに行くくらいのことはしていた。定期的に連絡をしあうとか、二人でどっかに遊びにいくとか、そこまでの関係ではなかった。だからあんまり詳しく彼のことを知っていたわけではない。
 タケノリの訃報は本当に突然のことだった。
 雪がちらつき始めた十二月中旬、地元にいる別な友達からメールが来て、それから数時間後に母から電話がかかってきた。そんなまさかと思った。
 ぼくと同い年だから、二九歳。病気をしていたという話もない。だいたい今年の夏にみんなで集まって飲んだばかりなのだ。そのときは、いつもと変わらず元気そうだったし、まさかその四ケ月後に逝ってしまうなど夢にも思わなかった。
 聞いたところによると、どこかで頭を強く打ったらしい。外傷はなかったのだが、数日後に静かに息をひきとったのだそうだ。まだまだこれからという歳なのに。
 焼香をするために席を立つ。
 タケノリはとても穏やかな顔をしていた。
 今にも話しだしそうな。
 けれども死んでいるのだ。
 目を閉じ冥福を祈り、用意されていた隣の部屋に移った。
 知った顔が多い。みんな小学校のときからの同級生だ。ここから辺は子どもの数が少ないから、小、中、一クラスのまま同じメンバーなのだ。けれども九年間一緒にいるといっても、あまり遊ばないやつとはずっと遊ばないし、ぜんぜん話をしたことがないやつだっている。そういうものだ。
 みんなと当たり障りのない話をし、寿司をつまんだりビールを飲んだりする。よく葬式のとき寿司がでるが、これは肉を避けるためなのだろうか。なんてことをぼんやりと考えていた。
 アルコールを摂ったせいかトイレが近い。席を立ち、部屋をでる。そんなに飲んだつもりはないのだが、軽くふらっとする。大地主ということもあり、ここの家は結構広い。トイレにいくにも廊下をしばらく歩いていかなければならなかった。さすがに暖房のない廊下はかなり冷える。スリッパを履いていても床の冷たさが感じられる。窓から外を見ると、再びちらちらと降り出しているようだ。
 身を刺すような寒さの中、ようやく用を足し、鏡を見ると、頬が赤くなっていた。最近飲んでいなかったので、すぐに酔いが回ったのかもしれない。冷水でぴしゃぴしゃと顔を洗い、ハンカチで拭く。いくらか酔いがさめた気がした。
 トイレを出ると、廊下にさっきの女の人がいた。やはり思っていた通りかなりの美人だった。顔に涙の跡がある。ずっと泣いていたのだろう。間違いなくこの辺の人ではないはずだ。こんなに綺麗な人がいればその評判が聞こえてきてもおかしくない。
 少し見とれていると、その女性はふらっと体勢を崩した。ぼくは咄嗟にその身体を支える。いい香りが鼻腔をくすぐる。
「大丈夫ですか?」
 顔色が真っ青だった。ほとんど血の気がなく、血管が脈打っているのが見えそうだ。二、三度瞬きをくりかえし、彼女の瞳が焦点を結ぶ。
「あ、ええ。すみません」
 そういうと彼女は再び体勢を直し、自分の足で立った。ぼくの方に軽く頭を下げる。長く美しい黒髪が波をうつ。なんとなく好奇心をくすぐられる。
「あの、タケノリとはどういう関係で? あ、ぼくは小学校からの同級生なんですが」
 場をとりなすつもりで、思ったことを口に出す。少しでも長く彼女の視界の中に入っていたいという下心もあった。彼女は下唇をかみ、ためらいがちに答える。
「婚約者でした」
 そう言うと、彼女はまたうつむいた。どうやら悲しみを再起させたようだ。不用意な自分の質問に自己嫌悪に陥る。もちろん彼女を悲しませることが目的だったのではない。
「すみません、余計なこと聞いたみたいで」
 軽く頭を振り、再び黒髪を揺らす。その艶やかな様子に思わずまた見とれてしまう。不謹慎かもしれないが、どうにもならなかった。
「いえ、いいんです」
 気丈に振舞う彼女の姿に、なんだかばつが悪くなり、その場を去ろうとする。会釈して、彼女の側を過ぎようとすると、
「あの」
 という消え入りそうな彼女の声に足を止められた。
「初対面の人にこういうことは失礼かもしれませんが」
「なんですか」
「少し頼みたいことがあるんです」
 美人の頼みとなれば、無下に断ることもできまい。
「ぼくにできることでよければ」
 彼女は少し顔をほころばせた。その顔を見られただけで、なんだか少しうれしかった。
「彼とふたりきりで話がしたいので、誰もこないように見ていてほしいのです」
 ふたりきりで話? 最期のお別れの言葉を交わすのだろうか。人に聞かれたくない話もあるのかもしれない。ぼくは「いいですよ」と快諾し、彼女は「ありがとうございます」と頭を下げた。
 早速彼女のあとについて、タケノリが眠る部屋に向かう。
「ずっと一緒にいようとお互い誓い合っていました」
 廊下で誰に話すでもなく彼女は言葉をつむぐ。ぼくはただ黙ってその言葉を聞いていた。
「けれどもその矢先、彼はあんなことになってしまいました。しばらくわたしはその辛さに耐え切れなく、ずっと泣いていました。彼の後を追おうかとも何度か考えました。でもそんなことをしても、彼は喜んでくれないだろうし、逆にわたしのことを叱るかもしれません。真面目な人でしたから……」
 そこで彼女は言葉を詰まらせた。涙をこらえているのが後ろからでもわかった。話しながら彼のことを思い出しているのだろう。
「だからこそずっと一緒にいたい……」
 その言葉を最後にして、彼女は口を閉ざした。
 そうして部屋に着く。部屋の扉は空いていて、中には誰もいないようだった。笑顔のタケノリの写真がこっちを見ている。
「では、お願いできますか」
 再び彼女の深い瞳がぼくを捉える。なにか意を決したようなその瞳は、ただぼくの頭を前後に振らせた。ゆっくりと深く頭を下げると彼女は部屋に消えていった。
 最愛の人に先に発たれるというのは、どういう気持ちなのだろうか。
 あいにく今のぼくにはそういう人はいない。なので、彼女の気持ちに簡単に同調することができなかった。とても辛く、悲しいということはわかる。けれどもそれが、どれほどのものなのかというのは想像しがたかった。
 彼女の最後の言葉を思い出す。
『だからこそずっと一緒にいたい……』
 そこでこの言葉のおかしさに気づく。
 一緒にいたい、という言葉。
 いたかった、ではなく、いたい。
 ただの言い間違いなのだろうか。
 胸騒ぎがする。
 もしかして彼女は彼の後を追うつもりではないだろうか。
 それならば一緒にいたいという言葉にも納得がいく。でも彼女自身、それは否定していたし……。
 扉を開けたい衝動に駆られる。そもそもふたりきりになりたいというのも、彼の傍らで命を絶つためということならば合点がいく。言葉を交わすだけなら、わざわざふたりきりになる必要があるだろうか。見張りを立ててまで、一緒にいたいと考えるだろうか。
 とにかく中の様子を確かめなければ。そう思い、声をかけようとするが、彼女の名前がわからない。
「あのっ」
 大きめに声をかける。反応はない。ノックもしてみるがそれも反応なかった。
 気が気でなくなり、思わず扉を開ける。
 バタンと大きな音を立て、扉が開く。
 そこでぼくは目を見開き、動きを忘れる。
 真っ赤にしたたる赤。
 ポタリポタリとゆっくりと床に滴り落ちている。
 その赤は彼女の肌の白によく映えた。
 思わず見とれてしまうほどの赤と白のコントラスト。
 立ちすくむ彼女。
 黒く艶やかな彼女の髪。
 吸い込まれそうなほどの黒い瞳。
 そして、彼女のものではない流れ落ちる赤。
 一緒にいたいとはこういうことか。
 彼女の口元から滴る血液を見て、その意味がわかったような気がした。

Dec. 29, 2003


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