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友だちのお母さん

 いじめる方が一〇〇パーセント悪いって言うけれど、必ずしもそうじゃないときが例外的にあると思う。
 つまりいじめられる方にも、なんらかの理由があるってこと。
 タカミヤはまさにそれなんだと思う。
 いつも汗ばんでいる暑苦しい容姿。
 そこから発せられるなんともいえない嫌なニオイ。
 相手のことを考えられない無神経さ。
 自分より弱いものには強く、強いものにはこびへつらう態度。
 その上、人を馬鹿にするようなしゃべり方。
 どこをとってもいいところがない。
 人間誰しもひとつくらい美点がありそうなものだが、果たしてそんなものがあいつにとってあるのだろうか。少なくとも小学校から今まで、七年間一緒のクラスであったおれでさえ、そんなところは見つけることができない。それだけ長くいれば、いいエピソードのひとつやふたつ、ない方がおかしいと思うのだが。
 中学校に入り、最初のうちはみんな様子を見る感じで、いろいろな人とグループを形成したり、解散したりする。席が近かったとか、同じ部活を選んだとか、そんな他愛もない理由でそれらは作られる。おれも最初は無難に同じ部活のやつとつるんでいた。サッカー部の。まぁ、おれの場合は今でもサッカー部の友だちがほとんどだけど。
 けれども、だんだん相手のことが分かってくると、集団は再構成され、今度は話題や趣味があう人同士がどんどん結びついていく。同じような知識を共有できる人と集団を形成するのだ。そして、この頃からカップルもちらほらと見え始める。
 この集団形成の中で、タカミヤは最初のうちこそなんとかグループに入れてもらっていたが、相手は彼のことを知れば知るほど嫌になっていったみたいで、結局一匹オオカミ(いやブタかな)になったのであった。学校中でただひとりという恐ろしいほどの孤独である。
「ぼくのレベルにあうやつがいないからしょうがないなぁ」
 などと強がりを言っていたやつも、しばらくすると学校に来なくなった。
 最初のうちこそ「タカミヤくん、どうしたんだろうね」とか話題にのぼっていたものの、一週間も経つと話題にすらならなくなり、むしろみな清々した顔をしていた。そういうおれもそのひとりだった。
 けれども先生はこれをいじめと見なし、我がクラスでは学級会議が開催された。
「どうしてタカミヤくんのことを無視するんだ? 誰が最初に言い出したんだ」
 なんとかして自分のクラスからいじめを排除しようと、先生は躍起になっていたが、事態はよくなるはずもなかった。誰かが意図して無視をしはじめたのではない。やつの態度に嫌気がさして、みんな自然に離れていったのだ。
「無視をやめると、今度は自分も無視されるかもしれないと思って仕方なく……」
 なんていう分かりやすい言葉はもちろん誰の口からも発せられない。
 先生はさぞかしそのセリフを期待していただろうけどね。
 嫌だから話さない。
 話すと不快になるから話さない。
 これが原因なのだ。
 わざわざ嫌な思いをしてまで、あいつの相手をしようとは誰も思わない。
 会議は先生ひとりが興奮し、クラスのみんなは冷め切っていた。
 なんとも滑稽。
 すばらしきかな熱血センセイ。
 時間だけが無情に過ぎていく。
 恐らくみなさんは、この後どうしようとか考えていたんだろうね。
 当然のことながらなんの進展もなく会議は閉廷。
 先生は納得のいかない様子だが、これ以上時間をとるわけにもいかない。
「ともかく無視は最低の行為だからなっ」
 と捨て台詞を残し、先生は乱暴にドアを閉めて教室を後にした。
 その後、おれは職員室に呼び出された。
 職員室は教室に比べ、暖房がよく効いているため、蒸し暑いくらいだ。タバコを吸ったりお茶を飲んだりしてる姿を見ると、ホントただのおっさん、おばさんだなぁと思えた。
「お、よく来たな」
 赤いジャージを着こなした、まだ三年目の若い先生は、手招きし、隣にある椅子を勧めた。
 よく来たなって、あんた。そりゃ呼ばれりゃ来るわ。
 なんてことはおくびにも出さず椅子に腰掛ける。
「タカミヤのことなんだけどな」
 あぁ、やっぱりそれか。
 はっきりいってアタクシ、力になれませんよ。
 目を合わせずにうつむいたまま話を聞く。
「いやなトコもあるかもしれないけど、根はいいやつなんだよ」
「はあ」
 曖昧な相槌。
 いいトコがあるならぜひ聞かせて欲しいものだ。
「お前、小学校のときからずっと一緒だろ」
「ええ、まあ」
「帰りにあいつん家、寄っていてくれないか?」
「え?」
「しばらく学校にも来てないからさ。プリントとかもたまってるだろ」
「はあ」
「家、分かるだろ?」
「ええ、まあ」
 小学校の頃、何度かやつの家に遊びに行ったことがあった。
 それはまさに、やつの「家」に遊びに行ったのだった。
 つまり、おれらの目的はタカミヤ本人ではなく、家に豊富に用意されたテレビゲームだった。いっそのこと本人がいなければもっといいのになぁと何度も思ったものだ。やつの家は結構な金持ちで、おもちゃもたくさんあったし、やつ専用の子ども部屋もあった。おれたちは、だいたい兄弟と相部屋とかだったので、一人部屋というのは憧れの的だった。
 やつのお母さんはとてもきれいな人だった。痩せていて色白で、なによりとても優しかった。いつも遊びに行くとジュースやお菓子を出してくれた。とてもやつと血がつながっているとは思えなかった。
 と、思っていたらやはり、やつとは血がつながってないらしい。今のお母さんというのは再婚なのだそうだ。つまりタカミヤは前のお母さんの子どもってこと。その人は死んだとか、逃げたとかいろんな話があったが、真相は分からない。
 タカミヤはあまり今のお母さんのことが好きではなかったみたいだ。ことあるごとに文句をつけ、反発していた。そんな姿を見て、こいつは本当に生きる価値がないのでは、と真剣に思ったものだった。あんなに優しそうなお母さんなのに。
「な、モリシタ。頼むよ」
 ふと現実に引き戻される。
「ちょっと顔見てくるだけでいいから。頼む」
 先生にそこまで言われたら無下に断るわけにもいくまい。内申のことも考慮するとこれは行くべきだろうな。
「わかりました」
 不承不承ながら、たまりにたまったプリントを受け取る。
 なんとも気が進まなかったが、おれはタカミヤの家に行くことにした。
 やつの家はおれの家と学校のちょうど中間くらいにある。
 田舎だからここら辺はほとんど一軒家なのだが、やつの家は中でもでかかった。
 二階建ての白い壁で、庭も広く、立派な門が家を囲っていた。
 どうせ通学路の途中なんだから、たいした面倒にもならないし、二言三言交わしたら、さっさと帰ることにしようと決め込み、歩みを進めた。
「ピンポーーン」
 考えてみると、このチャイムを鳴らすのも実に久しぶりだった。
 二年ぶりくらいだろうか。
 変わってないな、この音。
 しばらくするとドアが開いた。
「あら、モリシタくんじゃない?」
 出てきたのはおばさんだった。しばらく会っていなかったのに、一目でおれだとわかったようだ。あれからずいぶん背も伸びたし、顔も変わってると思うんだけど。それに比べおばさんは全然変わらず、はっとするほどきれいで、思わずどぎまぎした。
 なに緊張してんだ、おれ?
「あの、学校からプリント渡すようにって……。マサキくんに」
「あらそうなの、ありがとう」
 そう言うとにっこり微笑み、ドアをさらに開ける。
「今、中にいるみたいだから、よかったらあがっていって」
「あ、はい」
 できればおばさんに渡して立ち去りたかったが、ここで断るのも少し無礼かなと思い、あがることにした。
 久しぶりの匂いが鼻腔をくすぐる。
 人の家というのはどうしてこう変わった匂いがするのだろう。
 どこの家にも独特のにおいがある。
 用意されたスリッパに足を通り、おばさんの後に続く。
「マサキったら何も話してくれないの」
「そうなんですか?」
「うん。なに言っても返事もしてくれないし、部屋から動こうともしないのよ」
 完璧に引きこもりというわけか。
 もともとゲーム好きのやつだからな。
 それよりも、おばさんから発せられる香水のいい匂いに、ふらふらしそうだった。子どものころはただきれいだなぁと思っただけだったが、成長してから見ると恐ろしいほどの魅力がある。タカミヤのやつがうらやましかった。友だち(じゃないけど)のお母さんにこれほどまで、まいってしまうというのは、いかがなものだろう。と自省してみるのだが、そんなのは二秒で吹き消すほどの魅力だった。
「マサキ、モリシタくんが来てくれたわよ」
 ドアの前でおばさんが声をかける。
 返事はない。
 ノックをしてみる。
 これもノーリアクション。
「入るわよ」
 そう言うとおばさんはドアをガチャッと開けた。鍵はかかってないらしく、ドアは素直に開く。
 その瞬間、もあっとするような熱気が部屋からもれる。追いかけるようにして、今までにかいだことのないような異臭が鼻を突き刺した。
 なんだこのにおい!
 あまりのすごさに部屋に入るのがためらわれた。
 なんとも形容しがたいにおい。
 ただ不快であるということだけは、はっきりと分かる。
 おばさんは何も感じていないように普通に部屋に入っていく。
 まさか、この臭いが感じられないのだろうか?
「ほら、マサキ。モリシタくん来てくれたわよ」
 部屋から入ってすぐのところでおばさんが声をかけるが、タカミヤは微動だにしなかった。
 信じられない光景だった。
 呼吸が止まり、身体中の毛が逆立つ。
 鼻はすぐに麻痺し、もうにおいをかぎとれなくなっている。
 それどころか全身の感覚が麻痺しそうな錯覚に襲われた。
「まったく、しょうがないわねえ」
 なにも反応がないタカミヤを見て、おばさんはやれやれと言った感じで、こちらの方を振り返る。その顔には苦笑が浮かべられている。
「ごめんね、せっかく来てくれたのに」
「い、いえ。いいんです」
 壊れたおもちゃのように首を縦に振る。
 身体のコントロールがきかない。
「その辺にプリントは置いていってもらえるかしら?」
 カバンから束にして留めてあったプリントを取り出し、投げるようにして部屋の隅に置く。
 バサッと音が鳴り、それに対して自分で驚く。
 手が震える、背中に嫌な汗がにじむ。
 頭がクラクラしてくる。
「じゃあ」
 と言っておばさんは部屋から出る。
 おばさんの後に続いて、自由にならない身体を引きずる。
 まるで自分の身体ではないように感じられる。
「あの通り何を言っても聞かないのよ、しょうがない子よね」
 困ったようにおばさんは声をかけてきたが、おれはそれに頷くことさえできなかった。
 ただただ早くこの家から出たかった。
 来るときはあっという間だった廊下が、永遠のように感じられた。
 振り返ってはならないと言われ、それでも振り返ってしまい、恋人を失ってしまった男の話がふと頭に浮かんだ。
 そうだ。
 振り返ってはならない。
 今のおれもそうなのだ。
 きっとあれは幻覚に違いない。
 あの恐ろしいにおいに、変な幻覚が見えてしまったのだ。
 変なにおい?
 そうか。
 そういうことか。
 手の震えはおさまらず、背中は汗でびっしょりだった。
 ようやく玄関までたどりつき、外気に触れる。
 今まで普通に感じていた空気がとてもすばらしいものに思えた。
 こうして生きていることをすべてのものに感謝したい気分だ。
「また来てあげてね」
 そういっておばさんは手を振ってくれた。
 全力を駆使し、なんとか首を縦に動かす。
 恐ろしい。
 なんで、あんな顔ができるんだ。
 カーテンが閉じられ、薄暗い部屋。
 雑誌や、ゲームに混じり、糞尿までもが散乱していた部屋。
 そしてその中にひとりたたずみ、いつもにも増して異臭を発するタカミヤ。
 口からは、だ液を垂れ流し、真っ赤に血走った目は大きく見開かれ、ずっとこっちを睨んでいた。
 閉じることなくずっと、ずっとこっちを睨んでいるのだった。

Jan. 11, 2004


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