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少年は信じ、そして裏切られる

 子どもというのは純粋無垢で、大人になってからは到底あり得ないと思えるようなことでも、そのキラキラと輝く瞳でひたむきに信じているものである。
 サンタクロースがやってきてプレゼントをくれるとか、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとか、それ以外にもファンタジーに富むものが、彼らの胸の中にはぎっしりとつまっている。
 それらが彼らに夢を与え、好奇心を育み、さらには想像力を養う手助けとなる。
 だが、子どものころを振り返ってみると、わたし自身、それらを信じていたという記憶はない。変に大人びていて、ひねくれていたということもあるし、もっとも単に覚えてないだけということもあるだろう。
 しかし、ひとつだけ、実に荒唐無稽な話を信じていた時期がある。そもそも、なぜ我が両親がこんな話をしたのか理解に苦しむ。
 その場限りの戯れの言葉だったのだろうが、わたしはそれをすっかりと信じ込み、いつかいつかと、やきもきしたものだ。
 それが「毛生え届け」である。
 要するに「下の毛」が生えてきた場合、それを役所に届けなければならないという珍妙なる制度のことだ。
 今となってみれば何とも馬鹿馬鹿しい話で、一笑に付すくらいのものだが、当時、少年だったわたしはこれを真に受け、一体どこまで生えた段階で報告すべきなのか日々考えていた。
 一本でもはっきりとした萌芽が見られたときなのか、それともしっかりとした草原が完成したときなのか、まだ早いのか、もう遅いのか、役所には書類で報告するのか、口頭で伝えるのか、親に言えばいいのか、もうみんなは済んだのか、男女ともにあるものなのか、その他さまざまな疑問が渦のようになって頭を支配した。
 なんでこんな恥ずかしいことを報告せねばならぬのだ!と、政府に言われなき怒りを抱いたりもした。
 そして、時は人を成長させ、そして生長させる。
 お風呂に入るたびに、「これはもう報告すべきなのか、どうなのか。うーむうーむ」と悩む日々が続く。
 ある日、とうとう踏ん切りがつき、親に報告することにした。
「あのさ、その……、毛生えてきたんだけど」
「ああ、そう」
「それで、毛生え届けなんだけど」
「は?」
 母親は一瞬きょとんとした顔を見せ、その後、爆笑した。
 その急展開にわたしは事態が把握できず、しばし逡巡し、その後赤面した。
 なんて嘘をつきやがる、人の気も知らないで!
 それ以来、わたしは大人を信じなくなった。

Aug 11, 2009


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