温泉会談
うちの母は昔から温泉が好きだった。
そのため、子どものころはよく各地の温泉に連れていかれた。
小学生のわたしはまだ温泉の魅力というものが理解できておらず、単に広いお風呂という認識しかなかった。なので、温泉も銭湯も同じようなものと思っていた。ベタながら、たまに泳いでいたりもしていた。
その日は県外にある小さな温泉に来ていた。確か駅と一緒になっているスタイルで、料金も結構安かったと思う。
父は車で待っていたため、小学生のわたしはひとり男湯に入っていった。独特の匂いが鼻をつく。
イスに腰かけ、身体を洗い始めると、どうも周りの人がそわそわしているような感じがする。何事だろうかと思いつつも、泡を洗い流し、浴槽に向かう。辺りを見回すと、違和感が。
あれ? こんなに人いなかったっけ。
来たときはもっと人がいたと思ったのだが、今では自分の他に2人しかいなかった。
まあいいかと思いながら、浴槽につかると、なぜ人がいなくなったのかが分かった。
身体に絵柄がついておじさんが、自分の隣に入ってくる。
わたしwith 893 in the bathtub
「ふうぅぅぅっ」
気持ちよさそうに息を吐くと、おじさんはこちらに視線をよこす。どうしたらいいか分からないわたしは曖昧な笑みを浮かべる。
「よぅ、ぼうず。小学生か?」
「はい」
「かわいい顔してんな」
「え。ああ。はは」
当時結構髪の長かったわたしは、女子に間違えられることが何度かあった。
こういう種族の方々と面識がないわたしはとにかく笑ってれば何とかなるの一心で、ニコニコスマイルを顔にはりつけた。
「ぼうず、彼女いんのか?」
「え、いや。いないです」
「ああ。まだ早いか。がはは」
浴室に笑い声がこだます。
「おい」
すると、今まで身体を洗っていたもっと年上のおじさんが初めて声を発した。それを聞くと隣のおじさんは「へい」といって、大人しくなった。恐らく兄貴にあたる人なのだろう。
身も心も熱くなってしまったわたしは平静を装って、風呂から上がった。もうおじさんは声をかけてはこなかった。
男湯を出ると、休憩場のようなところで、真っ青な顔をした母が待っていた。壁越しにやりとりが聞こえたに違いない。
「大丈夫だった?」
「うん」
怖くはなかったが貴重な体験であった。
Sep. 12, 2006