惨劇はリビングで起きる
シェービングムースのスプレーが「ブゴゴゴゴォ」と音を立てて、それきり泡を出さなくなった。幸い今回の分はちゃんと出たので、それでヒゲをそり始める。
右手でかみそりを動かしながら、左手で何度かスプレーを押すと、スコースコーとガスが抜ける音がする。
仕事まで、まだ多少時間がある。
いつもなら、ある程度ガスを抜いたら、その缶を捨ててしまうのだが、なぜかそのときはきっちり全てを抜いてみようと考えた。
とりあえず、何かで突き刺せば一気に抜けるのかなと思い、スプレー缶を持ったまま、リビングに向かう。
引き出しの中を探すと、小さめのマイナスドライバーがあった。これならば、缶の横から突き刺せそうだ。
テーブルの上に缶を置き、それを左手で抑える。
そして、力いっぱいドライバーを振り下ろした。
さて、こんなことをしたらならば、どんな惨劇が訪れるか、賢明な皆さまならば、もうお分かりだろう。
わたしの視界は一瞬にして奪われた。
何だ? 何が起こった?
ただ、顔が妙にべたべたする。
いや顔だけでなく、手もだ。
薄目を開けつつ、ティッシュを探し、顔を拭う。
眼前には驚くべき光景が広がっていた。
まるで、そこだけに時期外れの雪が降ったようだ。テーブルや床、本棚までもが雪模様になっている。
「げっ」
とっさに時計を見る。
あと10分後には出発しなければ、仕事に間に合わない。
すぐさまフキンを持ってきて、目に付くところをどんどん拭いていく。多少ベタベタするところもあるが、今は白を殲滅させるのが最優先だ。
近くに来るまで気づかなかったが、どうやら白い壁にもラインが入っているようだ。
ホラー映画のワンシーンのように、ゆっくりと、そのラインを上に向かって、目でたどっていく。
「ぎゃっっ」
もちろん、そこにいたのはエイリアンでも蜘蛛の化け物でもなく、解け残った雪のような泡たちだった。
近くにあったイスにあがり、必死に天井を拭く。背伸びすると何とか届くくらいの高さだ。
「最近、何か悪いことしたかなぁ……」と思いつつ、急いで処理を進める。
見渡してみると、目につくところはどうやらすべて隠滅できたようだ。
それを確認し、わたしはすぐさま家を飛び出したのだった。
May 8, 2008