home > text > サンマイザンマイ

ホテルM

 Sと共に慣れない土地を歩き回って、宿を探していた。値段はだいたい1人6000〜7500円くらいになりそうだ。
 それでもどうにかもっと安い宿をと思い、何とも怪しげなホテルにたどり着いた。
 中に入ると、そこは薄暗く、水槽がぼんやり青く光っている。
「あれ、誰もいないな」
 近くまで行ってみると置手紙のようなものがある。すぐに戻る旨の内容だが、全く戻る気配がない。
 ラジオの野球中継だけが、不気味に響く。
「これ、どうなのよ?」
「もう少し待ちましょう」
 ベルを押したりしても、一向に誰も来ない。こんな雰囲気なのに、Sはここに決めたようだ。決め手は料金で、ツインで8400円という、相場を大幅に下回る低価格だ。
 チンと音がして、エレベーターが開く。
 中からおばさんが出てきて、わたしたちの方をちらりと見ると「はいはい、ちょっと待ってね」と言いながら、フロントに回った。
「ツインなんですけど」
「ああ、はい。8400円ね」
 そう言われて、紙を渡される。そこに住所などを書き込んでいると「この辺ではうちが一番安いからね」と話しかけられる。
「今、いろいろ見てきたんですけどそうですね」と答えて、書き終わった紙を渡す。
 部屋の鍵と、袋に入った使い捨ての歯ブラシを受け取る。なぜこのタイミングで?
 部屋は4階であった。
 ところで、よくホテルの広告を見ているとバス・トイレ完備のような謳い文句をよく見かける。今まで何でそんな当たり前のことを書くのか不思議に思っていた。
 そして今、その謎が解けた。
 そこには、トイレも風呂もついておらず、備え付けの冷蔵庫すらもなかった。かろうじて、テレビとエアコンはあるものの、まさに寝るためだけの部屋であった。
「おお、これはこれは……」
 ちなみにトイレと風呂は各階にあるが、大浴場などではなく、普通の家にある大きさだ。
 それでも安さに惹かれるのか、4階はほぼ埋まっていた。
 外で夕食を済ませ、部屋に戻る。買ってきたチューハイなどを軽く飲み、就寝。
 翌、午前5時30分。
「あーーーーーーーーーーーーーーーー」という高い声がして、うとうとと目覚める。子どもが泣いているのかと思っていると、どうやらそうではない。
 意識がはっきりするにつれ、声の詳細が分かってくる。
 おいおい、まじか。
 Sは目覚める気配もない。逆にわたしはどんどん覚醒が進んでいく。
 相変わらず、望んでもないのにハプニングが起こるものだな。

Aug. 19, 2008


home | text | bbs