短編小説・ショートショート【極楽堂】

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彼の秘密

「あれ? なかったっけ?」
 ラックを探す手を止め、富田陽子はひとりつぶやいた。さっきから十分ほど、いろんなものをひっくり返しているが、依然として目当てのものは出てこない。普段からあまりキレイとは言えない茶の間が、彼女の行動のせいで泥棒に入られたようになっている。
「そういえば、最近使った記憶ないかもな」
 ふうとため息をつき立ち上がる。
 四十を越えた彼女の身体は、しゃがんで立ち上がるという簡単な動作にさえ悲鳴をあげている。
 とりあえず散らかしたものを、もとあった場所に放り込み、子ども部屋に行ってみることにした。
 アパート暮らしということもあり、兄弟二人に同じ部屋を使わせていた。
 弟の広康は特に不満を感じていないようだったが、中二になる兄の康之は、近頃自分の部屋が欲しいとねだるようになってきた。そうはいっても、空いている部屋がないのだからどうしようもない。台所に茶の間、それから陽子たちが使っている寝室。あとは物置として使っている二畳くらいのスペースしかない。この調子だと、近いうちにその物置の中のものを出すことになりそうだ。
 金曜の昼間なので、二人とも学校に行っている。陽子は特に声をかけることもなく、ドアを開けた。が、何かがドアに引っかかり、中途半端にしか開かなかった。
「まったくもう」
 無理やりドアを押し込むと、ずずずずと何かを押しながらドアが開いた。
 どうやらマンガの週刊誌のようだ。他にもマンガやゲームのケースなどが部屋中にちらばっている。あまりの汚さに陽子は思わず片眉を上げた。一体誰に似たのやら。
 子ども部屋には二つの学習机と、二段式のベッドがある。あとはゲーム機がつなげられたテレビ。そして混沌を形成しているマンガとゲームだ。帰ったらすぐに片付けるように言わなければ。彼女の頭の中に、自分が片付けてやるという選択肢はない。
 勝手に机をあさるという行為に、若干の後ろめたさがあったが、自分は母親なのだからと無理やり自分に言い訳をした。その割には瞳は好奇心に輝いている。
 まずは弟の広康の方からだ。
 小学生の彼の方が持っている可能性が高い。ワークスペースのすぐ下の大きい引き出しを開けると、そこには鉛筆やら消しゴムやらキャラクターのカードやらが散乱していた。こんなにごちゃごちゃしているなら、多少いじっても気づきはしないだろうと、中をがさごそとあさってみる。だが、あるのは彼女の目にはゴミとしか映らないものばかりだった。サイドラックを開けてみるも、あるのは彼が出し忘れたであろうプリント類と、見たことのない点数のテストばかりだった。どうやら広康は点数のいいときしか彼女に見せていないらしい。これも後から、しかってやらねばなるまい。
 さて、今度は康之の方だ。
 サイドラックの一番上の引き出しに手をかけると、ほんの少し動いただけで、それ以上は開かなかった。どうやら鍵がかかっているらしい。なにか大切なものが入っているのだろうか。陽子の目的のものは大切のものとは無縁のものだったが、こうやって厳重に隠されていると、むくむくと好奇心が膨らんだ。もしかすると、別の引き出しに鍵が隠れているかもしれない。そう思って二番目の引き出し、三番目の引き出しと順に見ていくが、そこには学校や塾で渡されたプリントしか入っていない。大きい引き出しも調べてみるが、鍵らしいものは見当たらない。当初の目的も忘れ、陽子は舌打ちをした。
「いつも持ち歩いてるのかしら……」
 腕組みをしながら、机に備え付けてあるイスに腰を下ろす。そこまでして隠すものとは一体何なのか。ますます気になってしかたなかった。しばらく険しい顔で悩んでいると、ふと、にやりとした表情を浮かべ、部屋を後にした。
 再び戻った彼女の手には安全ピンが握られていた。
「ふふふふ。母親の力を甘くみるなよ」
 母親のものとは思えない言葉が口から漏れる。以前何気なく読んだ『実践 夫の浮気を見破る』がこんなところで役に立つとは。どこで何が役に立つかわかったものではない。この場合役に立つと言ってしまっていいものか疑問ではあるが。
 見よう見まねでかちゃかちゃと鍵穴にピンを差し込んでいると、カチャリと音がして鍵が外れた。陽子は映画でみるアメリカ人のように「イエスッ!」といってガッツポーズをした。
「どれどれ」
 最初の目的はもう頭の中にないようだ。クリスマスプレゼントを開ける子どものように目を輝かせながら引き出しを開ける。
「ん?」
 厳重な堅牢から出てきたのは、黒皮の手帳だった。恐らく日記だろう。読みたい衝動に駆られたが、さすがにそこまでプライバシーを侵害するのは良心が咎めた。いくら親でもそこまでしていい権利はないだろう。だいたい、鍵がかかっている引き出しを開けること自体が越権行為だ。とはいっても……。
 複雑な表情を浮かべたまま手帳を取り出すと、ひらひらと一枚の紙が落ちた。床に落ちたそれを見ると、写真のようだ。こんなところに隠すということは、好きな人の写真だろうか。一体どういう子がタイプなのだろう。自分と似たタイプだろうか。それとも今時のギャル?
 期待に胸を膨らませて、写真を拾い上げる。
 陽子はそれを見て凍りついた。
「え? どういうこと?」
 そこにはこっちを見て微笑んでいる半裸の姿があった。



 夫の康孝は口数の少ない男だ。
 結婚する前のスリムな体型は見る影もなく、今では立派な中年太り。趣味といえばビールを飲みながらの野球観戦という『現代親父見本』のような男だ。
 そして今まさにその趣味に没頭している。さっきまでドラマを観ていた子どもたちは自分たちの部屋に帰り、テレビの主導権を得た康孝はボーっとテレビに見入っている。
 いつ話を切り出していいものか陽子は迷っていた。比較的楽天的な性格の彼女にとっても今回のケースは衝撃が大きい。一人で抱え込むには厄介なシロモノだ。
「そういえば」
 とってつけたように話を切り出す。
「隣に引っ越してきた今野さん」
「んー」
「知ってるわよね」
「あー」
「なんでも単身赴任みたいよ」
「へー」
「まだ新婚早々なんですって。お気の毒よね」
「そうだね」
 まったく呆れるくらいに気のない返事だ。だいたい話を聞いているかどうかも怪しい。結婚して十五年も経てばどこも同じようなものなのだろうか。
「ねえ、お父さん」
「んー」
「ちょっと話があるんだけど」
「うん」
「大事な話なんだけど」
 陽子の深刻な声に反応し、ようやく康孝はテレビから目を離した。いや、たまたまコマーシャルに入ったからだろうか。
「なんだよ、話って」
 話を促され、陽子はゆっくりと深呼吸をした。
「今日子どもたちの部屋に入ったのね」
「ああ」
「それで机の中を見たのよ」
「え? お前ねえ、そういうことするなよ。あいつらにもプライバシーってものがあるだろうが」
「ちょっと借りたいものがあったのよ」
「はいはい。それで?」
「そしたら、びっくりするものがでてきちゃって」
 それを聞いて康孝は大げさにため息をついた。
「そりゃあれくらいの歳になれば、親に隠したいものの一つや二つあるだろう。康之なんてちょうど興味がでる年頃だしな」
「でもね」
「そんな本やビデオが出てきたくらいで驚くなよ」
 呆れた様子で康孝はグラスのビールを口に含んだ。
「違うの」
「ん?」
「これがでてきたの」
 エプロンのポケットに入っていた写真を裏返しのままテーブルの上に置く。ただ事ではない雰囲気を察知し、康孝にもわずかに緊張が走る。
「なんだよ、この写真」
「いいから見て。康之の机から出てきたの」
 康孝はゆっくりと手を伸ばし、写真を裏返した。
 そこに写っているのは、微笑みながらこちらを見ている半裸の少年だった。歳は康之と同じくらいに見える。はにかみながら、こっちを見ている表情は、まるで恋人に見せるもののように思えた。ベッドの上に腰掛け、上半身は裸、下にはバスタオルだけが置かれている。更衣室や浴室ならまだしも、ベッドのある部屋で友だちがこんな格好をするだろうか。
「これが康之の机から?」
「ええ。手帳の中に挟まっていたのが、偶然落ちてきたの」
「おいおいおい」
 大きな衝撃に頭の中に飛び込んできて、さっきまで観ていた野球のことなど一瞬で消え去ってしまった。まさかこんなことが?
「ねえ、どうしよう?」
「どうしようって言ったって……」
 そのとき、ガタンと子ども部屋のドアが開く音がした。
 二人はお互い顔を見合わせ、康孝がアゴで何度か写真を指すと、陽子がびっくりしたように目を見開いて、それをポケットに戻した。
「ちょっとお母さん」
 来たのは弟の広康だった。康之だったらどうしようかと思っていた富田夫妻はとりあえず、胸をなでおろす。
「な、なに?」
 声の調子からすると広康は怒っているようだ。わがままな彼にとって、それは特別なことではない。小さな何かでもすぐに感情に表れてしまうのだ。
「部屋に入ったでしょ?」
「えぇっ!」
 まさか広康から言われるとは。驚いた陽子は思わず大きな声を出してしまった。
「なんでそんなびっくりしてるの?」
 不思議そうに広康が尋ねる。
「え? な、なんでもない」
「なんでもないって顔じゃないけど」
「それよりなんで部屋に入ったって分かったの?」
「だって、机の中のもの位置変わってたし」
「えぇっ」
 なんてことだ。陽子にとってごちゃごちゃのゴミにしか見えなかったものも、広康にとってはちゃんと意味があり、並べられていたのだ。
「勝手に開けたりしないで欲しいんだけど」
「は、はい」
「他になんか見た?」
「え? ああ。ん? そういえば広康、あんた見せてないテストあるでしょ?」
 この場を何とか切り返さなければ。
「え? なんのこと?」
 一気に形勢逆転。
「最近テストの数が少ないと思ってさ。あんたの机の中を見てみたのよ。そうしたら出るわ出るわ。見たことのない点数が」
 陽子は一気にまくしたてた。広康はとぼけた顔をしてごまかそうとしている。
「ちゃんと全部見せるように言ってるでしょ」
「見せてるよ」
「じゃ机の中のあれはなんなのよ」
「あれじゃない? 目の三角」
「錯覚」
「そう、それ」
「そう、それじゃないわよ」
「と、とにかく。勝手に机の中見たりしないでよねっ」
 分が悪くなった広康は何とか虚勢を張りつつ、尻尾を巻いて部屋に戻っていった。
 なんとかこの場をやり過ごし、陽子は大きくため息をついた。
「おい」
 今まで知らん振りしていた康孝が声をかける。
「広康でも気づいたんなら、康之も気づいてんじゃないのか?」
 言われてみればそうかもしれない。一気に血の気が引く。
「ど、どうしよう?」
「とりあえず、その写真は元に戻しておいた方がいいだろ」
「そうね」
 そう言った後で陽子の背筋に悪寒が走った。
 鍵が開けっ放しだ。
 引き出しの鍵をピンセットで開けたものの、閉めることができずにそのまま放置してしまったのだ。もし康之が常に鍵を閉めっぱなしでいるならば、今日は気がつかないかもしれないが、毎日あの手帳を見ているのだとしたら、不審に思うのではないだろうか。しかも写真が入っていないことに気づけば。
「お父さん」
「ん?」
「康之呼んで」
「は? 今か?」
「ええ」
「呼んでどうするんだよ」
「話よ」
「話っていったて、いきなりそんな」
「とにかく何でもいいから引き止めて欲しいの。その間に写真戻してくるから」
「ああ」
「別に成績の話でも部活の話でも何でもいいから聞いてて」
「急にそんなこと言ったら変じゃないか?」
「いいから何とかしてよっ」
 勢いに負けて康孝は「わ、分かった」と返事をする。そして「おーい、康之」と子ども部屋に向かって声をかけた。お互いに目で頷きあうと、陽子は茶の間と子ども部屋の間にある台所に向かった。その背後を康之が通る。胸がバクバクと高鳴る。
 そして部屋にいる広康をどう誤魔化そうか考え始める。
 あー、もう。
 『実践 夫の浮気を見破る』なんて読むんじゃなかった。
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