短編小説・ショートショート【極楽堂】

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呼び方会議

「いつだっけ?」
 夢中でコントローラを操作し、相手にコンボを決めていると、後ろからタカヤに声をかけられた。何の文脈もないところから発せられた疑問符は、当たり前ながらぼくにはちゃんと伝わってこない。
「ん。何が?」
 最後の一撃を決められなかったぼくは、コントローラを放り出して、置いてあった缶ジュースを手に取った。すっかり炭酸のぬけてしまったやたらと甘い黒色の液体を体内に流し込む。
「あの女がここに住む日」
「あの女とかいうなよ。……来週だよ」
 飲み終わった缶をぐしゃっと握りつぶし、テーブルに戻す。
「どうなの一緒に住むという心境は?」
 にやにやといじわるそうな表情を浮かべながら、タカヤの尋問が始まる。こいつはこういうときに限って実に生き生きとした表情を浮かべる。いつもは眠そうな目をしているくせに。
「心境? そんなの特にないよ」
「またまたぁ。一つ屋根の下に住むんだぜ」
 一つ屋根の下。使い古されたフレーズだこと。
「はぁ? そんな、馬鹿馬鹿しい」
「もうあんまり遊びに来ない方がいいかな」
「なんでだよ。いつも通り来たらいいじゃん」
「あら、そう?」
 最初からそのつもりだったくせに。
「呼び方は?」
「呼び方?」
「今、何て呼んでるの?」
 記憶を呼び起こすと、該当するシーンがいくつかピックアップされた。
「んー、佐々木さんかな」
「で、これからは?」
「別に考えてないよ」
「お前ねぇ、そんなわけにはいかないっしょ。これから一緒に住むんだぜ。もう佐々木さんとは呼べないだろ」
 信じられないといった口調でタカヤは厳しくつめよってくる。自分には関係のないことなのに、何でこんなに真剣なか、理解に苦しむところだ。ばつが悪くなったおれはガシガシと頭をかいた。
「だったら何て呼べばいいんだよ」
「下の名前何だっけ?」
「ハルエ」
「じゃハルエでいいじゃん。名前の方が親しみがわくぜ」
「まさか、そんなわけにはいかないだろ。少なくともハルエさんだよ」
 タカヤが大げさにかぶりをふり、ため息をつく。
「あのねぇ、それじゃ他人行儀だろ? 相手だってもっと親しくなりたいと思ってるはずだよ」
「そんなこと言われてもなぁ」
 ちょっと考えながら、さっきつぶした缶を元に戻そうとする。一回つぶれてしまった缶はなかなか元に戻ろうとしなかった。
「おい、どうすんだよ」
 せっつくタカヤに半ば降参の意味もこめて、両手をあげる。
「わかった。わかったよ」
「で?」
「やっぱりお義母さんって呼ぶよ」
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