短編小説・ショートショート【極楽堂】

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暗闇の足音

 身体が熱い。
 名ばかりの春の夜は、まだまだ肌寒い。
 けれども一仕事終え、軽い興奮状態にあるわたしの身体は、その寒さをものともしなかった。
 夜の住宅街というのは街全体が眠っている。
 時折、犬の散歩をする中年女性や、帰宅途中のスーツ姿の男性にすれ違うくらいで、ほとんど人の気配はない。
 あまり気分のいいものではない。
 わたしは昔から怖がりだった。幽霊など信じてはいなかったが、それでも何かが潜んでいそうな気がして無性に恐怖を感じた。
 もしあの電柱の影から、顔が真っ青な女がでてきたらどうしようなどと考えていると、思わず肌があわ立った。けれども、あまり人気のないこの道を通らなくてはならないのだった。
 コツコツコツと足音がついてくる。
 ほぼ同じくらいのスピードで歩いているためか、さっきからずっとその足音は聞こえていた。
 何度から振り返ろうかと思ったが、もし口裂け女だったらどうしようなどと考えていると、それもできなかった。馬鹿げた考えかもしれないが、
「わたしキレイ?」
 などと言われた日には失神してしまうだろう。
 早く追い越してもらおうと思い、ペースを落とすが、それに合わせて音の主もスピードを下げた。
 なんだ?
 何が目的なんだ?
 若い女性をターゲットにするならともかく、こんな中年のおっさんに何をしようというのか。
 それともたまたま、あちらもスピードを落としたということだろうか。それも十分に考えられる。
 今度はペースを上げて早歩きにしてみる。
 すると、どういうわけか、あちらもスピードを速めてきた。まるでわたしのペースに合わせるかのように、音の主はスピードを変えてくる。薄気味悪くなったわたしは、早く家まで帰ろうとそのまま早足で歩き続ける。
 運動不足がたたってか、すぐに息が切れてくる。
 身体がさっき以上に熱くなり、背中に幾筋もの汗が流れた。
 ぜえぜえ言いながら歩いていると、向こう側から女の人が歩いてくるのが見える。二〇代後半だろうか。恐らく会社帰りなのだろう。うつむきながら歩いている。
 大の男が女性に助けを求めると言うのも恥ずかしかったが、なりふり構ってられないので、彼女の方に向かって歩き出す。早くなりすぎた足についてこれず、コートがはだける。しかし、そんなことは気にしていられない。
 急接近してくるわたしに気がついたのか、女性は顔を上げた。白いマスクをしていたので、思わずゾッとした。
 まさか。
 いや、そんなことはないだろう。
「あの、すみません」
 歩きながら声をかけると、不審そうな眼差しをわたしに向けた。そしてわたしの姿を確認すると「きゃっ」と短く悲鳴をあげ、駆け出していった。
「あ、ちょっとお嬢さん」
 引きとめようとしたが、ムダだった。一瞬の内に彼女は闇の中に消えていった。
「おい」
 突如肩をつかまれる。
 しまった。
 音の主に追いつかれたのだ!
 男の低い声がわたしを強引に振り返らせる。
 するとそこにはさっきの女性がいた。怯えた眼差しでわたしを見ている。
 その隣にいるのは警官だった。
 わたしは血の気が引いた。
 まさか警官とは。
「お前か、最近この辺に現れる変質者というのはっ!」
 さっきまで熱かったわたしの身体は一気に冷たくなった。
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