短編小説・ショートショート【極楽堂】
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恋人の義務
「なんか、怒ってる?」無言のまま、七分ばかり人ごみの中をすり抜けていくヨーコにカズトが尋ねる。
「別に怒ってないし」
明らかに怒りの表情を浮かべ、ヨーコが答える。その様子にカズトは顔をしかめる。
「おれ、変なこと言った?」
「言ってない」
寸断される会話。
下唇をかみ、カズトは頭をひねる。
別に浮気もしてないし、やましいことは何もしてない。なのにどうして彼女はこんなにも怒っているんだろうか。
再び沈黙をまとい、ふたりは街を突き進んでいく。
それはショッピングというより、競歩だ。無言でずんずん進むヨーコの後ろを、カズトは黙っておいかける。
「ねえ」
再び後ろから声をかける。
「どうかしたの?」
髪がなびくくらいに勢いよく、ヨーコが振り返る。
「サイテー」
「は?」
「あんたっていっつもそう」
「だからなにが?」
「もういい」
再び前に向き直り、ヨーコは歩き出す。
カズトは全然納得がいかない顔つきで、しばらく立ち尽くす。
けれどもヨーコを見失ってはまずいと再びかけだす。
日曜日ということもあり、街にはたくさんの人がでている。仲のいい親子連れや、寄り添うあうカップル。楽しそうにはしゃぐ子どもたち。それぞれが楽しそうに街の中を歩いている。その中でなぜ自分たちがこんなに足早に歩いているのだろうか。カズトはやるせない気分になる。
「なあ」
さすがにカズトも頭にきはじめたのか、今度はさっきよりも強い調子で声をかける。
その声にヨーコはピタッと立ち止まった。
「あんたっていっつもそう。自分のことばっか考えてて、わたしのことなんて全然見てない。だいたいわたしたち、付き合いはじめて一ヶ月でしょ? まだ一ヶ月よ。それなのにもう見てないわけ? わたしってそんなに魅力ない? そうね。スタイルだってよくないし、美人でもないし、肌だって荒れてきてるし、頭だって悪いし、性格だって悪いし。そんなことわかってるのよ。でもね、彼氏にくらいはかわいいと思われたいじゃない? わたし、間違ったこと言ってないわよね?」
「う、うん」
早口でまくしたてるヨーコに、カズトはただ頷くしかない。
ものすごい勢いで一気にしゃべったので、ヨーコは肩で息をしている。
そして、ゆっくりと深呼吸し、おもむろに頭をゆする。髪がなびき、シャンプーの香りが漂う。
その様子をカズトはただ不思議そうに見つめている。
「はあ」
ヨーコは肩を落とし、ためいきをつく。それから髪に指を通した。
「あ」
カズトの目に光が灯る。
「髪、切ったの?」
「気づくの遅いし」
「ごめん」
ようやくヨーコの不機嫌の理由が判明し、カズトはほっとした。だが、その安心も数秒のことだった。
「罰として、指輪」
「指輪?」
「買って」
「ええっ」
バイトの給料が入るまであと五日もある。
ここで無駄遣いして果たして生活していけるだろうか。カズトはぼんやりと今後の家計を計算してみた。そして、赤字間違いなしの結論がはじきだされる。
「行くわよ」
そう言ってヨーコはまた颯爽と歩き出す。
ため息をついて、カズトがその後を追う。
迷いなく、店に向かって歩いていくヨーコ。
もともとそうするつもりだったかのように。
カズトはその隣を意気消沈しながら歩く。
「そういえば」
思い出したようにカズトがつぶやく。
「なに?」
ヨーコの顔にすでに怒りの表情はない。むしろ、かすかに笑みさえ浮かんでいる。
「おれも一昨日髪切ったんだけど」
遠慮がちにカズトが言う。
「そんなの気づくわけないじゃない」
肩眉をあげて、ヨーコは答えた。
まるで気づかないのが当然であるかのように。
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