短編小説・ショートショート【極楽堂】

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アトノマツリ

「なんとか言ったらどう?」
 苛立ちを露にしながら女が尋ねた。耳元にかかった髪を神経質そうにかきあげ、男の方をさげすんだ目でにらんでいる。目からは怒りが溢れかえり、顔も少し紅潮している。対照的に男は、生気を感じさせないうつろな瞳で、うなだれるようにイスに腰掛けている。テーブルをはさみ、熱さと冷たさが向かい合わせに座っている。
「あなたはいつもそう。黙っていればすべてが解決すると思ってる」
 男の目はうつむいたまま女の方を見ない、いや見ることができないというべきか。付き合っていた当時の面影はなく、ただ怒りのみがそこに存在している。あらゆる怒りの感情を具現化させたサンプル。
 わざと大きくため息をつき、女は立ち上がった。
「たいした甲斐性もないくせに、いろんなトコに女作って、貢いで騙されて。あなたって本当に学習能力がないのね」
 辛らつな女の言葉をただ黙って浴びる男。まるでそれが贖罪であるかのように、なんの弁明もせず、うつむいたまま耐えている。
「わたしが女のところに乗り込んでいったこともあるし、その逆もあった。はっきりしないあなたに逆上した女がわたしを刺した。あなたはただうろたえるだけで、何もしてくれなかった」
 昔を懐かしむような遠い目をしながら、自虐的に女は微笑んだ。
「あんな目にあったのに、またあなたは同じ過ちを繰り返したのね」
 さっきまでの燃え盛るような怒りは姿を潜め、慈愛にも似た哀しげな瞳が男を見つめる。全てを許し、包容するようなその瞳。
「もうこんなこと言ってもしょうがないわね。わたしたちもう終わってるんだもの」
 最終通告ともとれる言葉だったが、依然として男は何の反応も示さない。
 男はまばたきもせず、深く身体を椅子に預けている。
 呼吸によって上下するはずの胸は、冷たい金属を突き刺され、その活動を停止している。
 その様子を哀しそうに見ていた女は、そこで文字通り姿を消した。
 まるで部屋には男の身体しかなかったように。
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