短編小説・ショートショート【極楽堂】

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でかけるときは忘れずに

 かんかんかんと乾いた音を立てて、階段を下りる。チカチカと点滅する電灯を背に、一階まで来てから、ふと立ち止まる。
 あれ、ガスの元栓閉めたっけ?
 いざ出かけようとすると、こういう心配をすることが多い。だいたいちゃんとなっていることが多いのだが、気になり始めると、そのことがなかなか頭から離れないものだ。
 少し逡巡した挙句、再び階段を上り始める。
 かんかんかん。
 ドアを開け、入ってすぐの台所でガスの元栓を確認。ちゃんと閉まっている。奥の方を見て、全部の電気が消えているのも確認する。よし、今度は大丈夫だ。
 かんかんかん。
 あら、コタツのスイッチ入れっぱなしじゃないか?
 再び小さな心配が頭に入り込む。初めはほんのわずかな大きさだが、水が染み込むようにどんどん広がっていく。大丈夫だと自分に言い聞かせても、消した記憶がはっきりと思い出せない限りどうにもならない。だいたいこういう日常の動作というのは自動化されているから、いちいち記憶に残らないものだ。そんな些細な動作を全て記憶していったら、それこそ頭がどうにかなってしまう。
 なんてことを考えながら、またもや階段を上がっていく。
 かんかんかん。
 ドアを開け、靴を脱ぎ、コタツのふとんをめくる。やはり、消えていた。それどころかコンセントにさえささっていない。我ながらしっかりしているなと感心するが、こうやって何度も戻ってきているのも自分なので、あまり感心もできない。ここまで来たからには徹底してやろうと思い、ひとつひとつ指差し確認をしていく。コタツオーケー、ベランダの鍵オーケー、ポットオーケー、ガスオーケー、水道オーケー。一通り確認して全部大丈夫だとわかり、小さく頷く。
 よし今度こそ大丈夫だ。
 部屋を出てがちゃがちゃと鍵を閉める。携帯で時間を見ると、最初に家をでたときから一〇分も経過している。少し急がなければならない。
 足早に階段を駆け下りる。
 かんかんかん。
 近くの駅までは歩いて二〇分くらいかかる。この調子で急いでいけば一五分くらいで着くだろう。こんなことで遅刻していたら、彼女になにを言われるかわかったもんじゃない。また馬鹿にされるのが関の山だ。
 息を切らしながら駅のホームまでたどり着く。数分としないうちに電車が轟音と共に入ってくる。
 よし、どうやら間に合ったみたいだ。
 はぁはぁと途切れる呼吸を整えながら電車に乗り込む。
 車内は帰宅するサラリーマンでいっぱいだった。とても座れそうにないので、ドアにもたれかかる。
 ポケットから携帯を取り出し、時間を見る。大丈夫だ。約束の時間には間に合う。ほっと一息しながら、携帯を元に戻そうとして「は」と気がつく。
 右ポケットには今戻した携帯。後ろのポケットには財布。それらはきちんとある。
 しかし左ポケットにあるはずのものがなかった。
「うわ。最悪」
 思わず声に出してしまう。
 鍵がドアノブにさしっぱなしだった。
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