短編小説・ショートショート【極楽堂】

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彼は分かってない

 またか。
 帰ろうとすると靴がなかった。最近、立て続けにそういうことがある。
 辺りをキョロキョロと見回す。遅くまで残っていたので人影はなく、しんと静まりかえっている。蛍光灯の明かりだけが心細く光っている。あまりにも寂しい光景にますます自分がみじめに思える。
 廊下にあるゴミ箱を開ける。いつものようにそこに靴があった。ご丁寧に上から紙くずをかぶせてある。彼らはこういうくだらないことには余念がない。怒りよりも呆れの方が強い。
 なんでこんなことをするのだろう。
 なにか悪いことでもしただろうか。
 いや、そんなことはない。理由はないのだ。ただ退屈しのぎにこんなことをするのだ。誰かを生け贄にしないと次は自分かもしれない。そういう恐怖感も手伝っているのかもしれない。
 靴をとりだし、ゴミをはらう。
 自分は反抗すらできない。
 無性に悲しかった。

「それではなにかご質問ある方?」
 神経質そうに人差し指で眼鏡を上げながら、頭のはげあがった男が尋ねる。それに対し、原型がわからないほどに化粧でコーティングしている女性が手をあげる。
「あの、最近マスコミにも取り上げられているいじめについてなんですが。ここではもちろんそういうことはありませんよね」
 彼女の言葉に周りにいた中年男女が同意を示すように頷く。みな気になっていたことらしい。はげあがった男は咳払いを一つして、彼らの方を見回しながら答える。
「もちろん我が校で、生徒同士のいじめというのはありません」
「そう言い切れるんですね」
「ええ。うちでは特にそういうことに注意を払っています。先生方にもしつこいほどによく言ってありますので」
「信じていいんですね」
「信じてください」
 その答えを聞いて、中年軍団は満足そうに頷いた。

 よく整備された校庭に無数の子どもたちが整然と並んでいる。こんなにもたくさんの人がいるのに、彼らの服装は二種類しかない。この国では見慣れた光景だが、少し異常な感じがする。番号札をつけられて、管理されている家畜のように見えなくもない。
 ざわざわと雑談をしていた彼らだが、前にある台にはげあがった男が立つと、水を打ったように静かになった。よく飼いならされている。
「えー。諸君に聞いてもらいたいことがある。いつも言っていることだが、もしキミたちの中でいじめが行われているならば、ただちにやめてほしい。もちろんないだろうとは思うが、万が一そういう行為を見かけたら、すぐに先生に言ってくれ。決して加害者に、そして傍観者になることがないように」
 生徒たちはまたかという顔で聞いている。そんなこと言ったって、先生になんて言えるはずがない。もし言ってしまえば、今度は自分がターゲットにされるに違いないのだ。見て見ぬフリをする。それが一番の方法だとみな思っていた。
 はげあがった男の話はまだ続いているが、数人の生徒たちがこそこそと会話を始める。
「おい、見ろよ」
「なに」
「キタザワ」
「ん? なにあいつ、肩震えてんじゃん。もしかして」
「間違いないな」
「かー、マジかよ」
「ま、確かにいじめられてますなんて恥ずかしく言えねえわな」
「ああ。でも誰がいじめてんだろ」
「サノとかやりそうじゃね?」
「やってるな。あいつ間違いなくSだし」
「なんかかわいそうだな。キタザワ弱そうだし、ゼッテエ言えなそう」
「かと言っておれらが口出せるようなもんでもないし」
「確かに。教師同士のいじめに生徒が口を出すってのもね」
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