短編小説・ショートショート【極楽堂】

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オモイ

「最近どうなの、カナエちゃんと?」
 想像の範疇の質問だった。
 トモキとはつきあいが長い。恐らくどうなっているかも知った上で、あえて尋ねているのだろう。こういう形式ばった会話というのはお互いの関係を潤滑にするのに役立つ。普段している挨拶と同じようなものだ。
「別れたよ」
 恐らくやつが頭の中に用意しているだろう答えを素直に伝える。それを聞いてトモキは深くため息をついた。分かっていても、残念なものは残念なのだろう。そのため息を聞いて、俺もひどい自己嫌悪に陥る。
「どうして? いい子だったろ、彼女」
 諭すような優しい声でトモキは尋ねる。まるで自分が子どもになったかのような錯覚を覚える。だが、実際は同い年。しかも俺の方が生まれが早いから今は一つ年上だ。トモキとは中学のときからの腐れ縁で、二五になった今でも定期的に会ったりしている。月に一度くらい飯を食いに行ったり、飲みに行ったりしている。電話で話すのはもっと頻度が多い。だいたいは、くだらない内容なのだが、話題は尽きることがなかった。あまり人付き合いが得意ではない俺にとってトモキは貴重な存在だった。
「重すぎたんだよ」
 二週間前のことを思い出しながら、言葉を続ける。
「真面目すぎるのかな。浮気とかはもちろんないし、俺の喜ぶようなことは何でもしてくれた」
「うらやましいね」
「ただ、あまりにも彼女の気持ちは俺にとって重すぎたんだよ。何度か言っていたよ『たとえ死んでも離れない』ってね」
「よほど思われてたんだろ?」
「そこまで思われるほどの人間じゃない夜、俺は。あそこまでの思いを受け止めきれる自信もないし」
 髪型から服装まで、カナエは俺の好みに合わせてくれた。料理も決して得意な方ではなかったのだが、かなり練習したらしく、みるみる上達していった。絆創膏をつける指を当時は微笑ましく思っていた。けれども、あまりにも真面目すぎる彼女の態度に俺はひいてしまったのだった。
 悪いのは全部俺。
 カナエは本当によくしてくれたと思う。
「まぁ詳しいことは聞かないけど。彼女かなりショックだったんじゃないのか?」
「……うん」
 間違いないだろう。
 あのときのカナエの目は一生忘れることができないと思う。
 絶望に打ちひしがれ、涙をいっぱいにためた両の瞳。
 恐ろしいほどに美しく、雄弁だった。
 まっすぐに見つめることができず、俺はすぐに目をそらしてしまった。けれどもその目はしっかりと俺の網膜に焼き付けられ、今でもありありと思い出すことができた。
「あれから全然連絡とってないから、今どうなったか分からないんだ」
「そうか。うん。でもしょうがないか」
「俺が悪いんだよ」
「そう自分を責めるなって。そんなことしたって誰の得にもならないよ」
「ああ」
「あまり思い込むなよ」
「分かった。すまないな」
「いいよ。別に。そろそろミツキが来るから切るな」
「ああ。お前たちがうらやましいよ」
 トモキとミツキさんはつきあいはじめて今年で四年目だった。ミツキさんははっとするような美人なのだが、それを鼻にかけることもなく、さっぱりとした性格で、友達も多かった。トモキと一緒にウチに何度か来たこともあった。
「早くお前もいい人見つけろよ」
「俺もそう願いたいよ」
「はは。じゃあな」
「ああ」
 長かった会話も終わり、ふと時計に目をやる。
 もう一〇時か。ずいぶんしゃべったな。
 時計を見ながら、ベッドに身を沈めると、携帯が鳴った。
 短い着信音。
 メールか。
 トモキかな。
 沈んでいた身体を再び引き上げ、ディスプレイに目を落とす。
『わたし もう 死にました』
 背筋が凍りついた。思わず携帯を落としそうになる。
 何だ、このメールは!
 いたずらにしては趣味が悪い。発信先を見ると、登録されてないアドレスだった。誰かがアドレスを変えて送ってきたのだろうか。それにしてもいったいどうして? わけがわからなかった。気味が悪いので、返信せずにほっておこうと再びテーブルに置く。
 すると、その瞬間をねらったかのように再びメールが届いた。
『死ぬしか なかった』
 さっきと同じアドレスだった。文字だけの無機質な思いが胸を貫く。
「勘弁してくれ」
 思わず声が漏れる。
 なんだってこんなことをするんだ。
 再びの着信。
 思わず身が強張る。
『たとえ死んでも離れない』
 さっき自分が口にしたメッセージだった。
 カナエか。
 俺にふられたことを恨んで、それでこんなメールを送ってきているのか。
 それにしても、俺たちが別れてもう一月が経とうとしているのだ。どうして今頃こんなメールを。恨みがあるならもっと早い時期に送ってくればいいだろうに。それとも恨みが積もりに積もって今晴らされようとしているのだろうか。どっちにしても勘弁して欲しかった。
 確かに悪いのは俺だ。
 俺のわがままで、尽くしてくれた彼女をふったのだ。
 けれどもこんな仕打ちをしなくともいいだろう。
 何らかの呪いがこもってそうで、薄気味悪く、その携帯をベッドに投げた。思いを受信する機械は布団の中にゆっくりと沈んでいった。頭を抱えて、その脇に座り込む。とても返信できる状態ではない。無視するしかない。目をぎゅっと閉じ、ただただ拷問のようなときをやり過ごす。
 ピピピピピピピ。
 再びの電子音。
 今度はメールではない。
 電話がかかってきている。
 そのままやり過ごそうかと思ったが、神経を逆なでるような音はやみそうになかった。
 ぐったりとした気持ちのまま、携帯を手にする。
 非通知。
 嫌な予感は高まる。
 にじむ汗をズボンで拭き、通話のボタンを押す。
「おい。なんだよ、早く出ろよ」
 トモキだった。
 大きく息を吐く。
 全くなんてタイミングでかけやがる。
「どうした?」
「お前カナエちゃんのこと知ってるか?」
「だから、さっき言ったろ。全然連絡とってないって」
「ああ、だっけか」
「で、なんだよ」
「カナエちゃん、死んだぞ」
「は? 死んだ?」
「さっきミツキから聞いたんだけど、どうやら自殺みたいだ」
「自殺? いつのことだよ」
「昨夜らしい。真っ赤になった浴槽で眠るように逝ったらしいよ」
 昨夜?
 どういうことだ。
 じゃ、さっきのメールは?
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それは間違いないんだな」
「ああ。死に方があれだから、表沙汰にはなってないが。ミツキはそういうこと詳しいからな。情報網が広いんだよ」
「いいか、トモキ。落ち着いて聞いてくれ」
「なんだよ」
 唾を飲み込む。
「さっきカナエからメールが来たんだ」
「は?」
「カナエからメールがきてる」
「だって昨日死んだんだぞ」
「だから俺も驚いてるんだよ! 『たとえ死んでも離れない』ってメールがさっき入ったんだよ!」
「アドレスは? カナエちゃんのなのか?」
「違う。見たことないやつだ」
「だったら、彼女とはかぎんないだろ。というか、彼女のはずがないだろ」
「だって、この話知ってるやつはいないんだよ!」
「ああ。わかった。とりあえず落ち着け」
「これが落ち着いてられるかっ! きっとカナエの霊だ。間違いない!」
「馬鹿か。落ち着けって言ってるだろ。だいたい霊がメールなんか送るか」
 身体中が熱い。
 まるで運動した後のように息が切れる。
 ひどく興奮している。
 無理もない。
 あんな、あんなメールがくれば……。
「とにかく落ち着くんだ。いいか。誰だかわからんが、また送ってくるかもしれない。この電話が終わったら、電源は切っとけ」
 カナエ、俺が悪かった、許してくれ。
 次から次へと後悔の念が襲ってくる。
 全身に嫌な汗が走る。
「聞こえてるのか? おい、カツミ。返事をしろ!」
 俺だってお前のことが本当に好きだった。
 別れたくて別れたんじゃないんだ。
 なのにこんな。
 こんなことまでしなくていいだろ。
「くそっ。いいか、カツミ、そこにいろ。今から俺が行く。待ってろ。携帯は切っとけ。分かったか?」
 溢れかえるようなトモキの怒鳴り声が、無機質な発信音に変わる。
 耳に当てていた携帯をゆっくりと離す。
 手が震えている。
 なんだ?
 なんなんだ?
 俺はそんなに悪いことをしたのか?
 どうなんだ、カナエ?
 間断的に震える指をなんとか押さえつけ、指に力を込めて、電源を切る。
 そのまま携帯は床に落ちた。
 そして、俺もそのまま床に崩れ落ちた。

 ピンポーン。
 放心状態のままどのくらい時が経ったのだろうか。
 チャイムの音ではっと現実に引き戻される。
 さっきよりはだいぶ落ち着きを取り戻した。
 ピンポーン。
 トモキが来たのか。
 ゆっくりと立ち上がり、玄関まで歩いていく。その足取りは重く、まるで俺が死者になったかのようだった。ひきずるようにして、歩みを進める。
 そして、ようやく玄関までたどり着き、冷たく冷え切った鍵を開けた。
 ガチャリとノブをひねり、ドアを開ける。
 どうせトモキだろうと思い、姿を確認せずに部屋に戻ろうとした。
 が、何も声がしない。
 もしトモキならば、なんらかの声をかけるはず。
 恐る恐るゆっくりと振り返る。
「カナエ?」
 身体中の血液が凍りついた。
 カナエが好んで着ていた水色のワンピース。
 いまどき貴重な漆黒の長い髪。
 透き通るような白い肌。
 そして、真っ赤な右手首。
 本当に恐ろしいときというのは声もでないらしい。
 ただ口を開けたまま、俺はこの恐怖を直視しなければならなかった。
「カナエか?」
 震えるか細い声を何とかつなげ、言葉にしていく。
「どうして? 死んだ、じゃ、なかったのか?」
 カナエは微動だにしない。
 ただぽつぽつと赤い液体が下にしたたる。
 もう水溜りができている。
「許してくれ。俺が、俺が悪かった」
 すでに涙があふれ、俺は泣きながら許しを乞うていた。
「まさか死ぬなんて、そんな、そんな」
 ただただこの恐怖から逃れたかった。
 そしてカナエに許して欲しかった。
「カナエ、なんとか言ってくれ」
 そのとき、黒い髪の間から、カナエの目が見えた。
 あのときと同じ、恐ろしいほどに美しく、雄弁な目。
 それを見た瞬間、俺は気を失った。

「ありがと、ミツキ」
「少しは気が済んだ?」
「全然。でも、何もしないよりはマシ」
「カツミさん、少し気の毒ね」
「何言ってるの? あの人のせいでお姉ちゃんは」
「そうね。そうだったわ」
「お姉ちゃんはいつもあの人のことを話してくれたわ。それはそれは幸せそうに。わたしもそんなお姉ちゃんの姿を見ていて幸せだった。けれどもあの日、お姉ちゃんは本当に悲しそうな顔をして帰ってきた。『別れたの。どこが悪かったのかな』って悲しそうに笑ったわ。わたしはそんなお姉ちゃんを見て胸が張り裂けそうだった。そして、その後まさか、あんな……」
「大丈夫? ナナエ」
「……うん。ごめんなさい」
「驚いたでしょうね、死んだはずのカナエさんが現れて」
「心底恐怖を感じたみたい。わたしの顔を見た瞬間気を失ってたしね」
「カナエさんはあなたのことを話してなかったの?」
「たぶん」
「あなたがあんな格好をしていけば、誰だってカナエさんだと思うわよ」
「そうでないと意味がないわ」
「そうね」
「でも、よく考えたわね」
「ただお姉ちゃんの姿で現れただけでしょ」
「違うわ。メールのことよ」
「メール?」
「あんなメールが直前に来てれば、怖さも増すわ」
「メールって何のこと?」
「え? メール打ったんじゃないの? 『たとえ死んでも離れない』って」
「何それ? わたし、そんなことしてない」
「冗談はやめてよ。わたしまで怖がらせる気?」
「本当に知らない。だってあのとき携帯持ってなかったし」
「じゃ、誰が……?」

「どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
「なんでもないって、泣いてるじゃん」
「泣いてなんかないわ」
「またあいつのこと?」
「……うん」
「どうしたの、今度は?」
「わたしたち、もうだめみたい」
「だめって?」
「もう終わりなの」
「別れたの?」
「もうつきあえないって言われちゃった」
「なんで?」
「わからない。たぶんわたしのせいだと思う」
「そんなことないでしょ。きっとあいつのせいだよ。この前もあいつが」
「やめて。カツミさんのことは悪く言わないで」
「でも……」
「いいの。カツミさんが幸せになれば、わたしなんてどうなっても」
「そんなこと言わないでよ」
「もう生きていくの、疲れちゃった」
「何言ってるの、別れたくらいで」
「そうね」
「ほら、元気出して。そんな顔はカナエさんには似合わないよ」
「ありがとう。優しいのね、トモキくん」
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