短編小説・ショートショート【極楽堂】

home > novel > 031-040 > 閉じ込めたい

閉じ込めたい

 虫の知らせというものがあるならば、今感じているこの感覚こそがそれに違いあるまい。
 仕事も上の空で、ミスばかり。周りからも何かあったのかと尋ねられ、これ幸いと適当に理由をつけて、抜け出してきた。
 大丈夫だろうと考えた、今朝の自分に腹が立つ。
 外は心情を表すかのような雨模様で、不安がかきたてられた。
 全身に降りかかる水滴に舌打ちしつつ、車に乗り込む。車内も湿っぽく、心は沈んでいくばかりだ。
 最悪の事態にまではなってないと思うのだが。
 信号無視をして、危なく曲がってきた車にぶつかりそうになりながらも、何とかマンションの駐車場まで辿り着く。
 雨脚はさっきよりも強くなってきている。
 傘などもっているわけもなく、スーツで頭を覆いながら、マンションの中に入っていく。
 ちょうどエレベーターから人が降りてくるところで、うまくそれに滑り込む。
 四階のボタンを押し、しばしの時を待つ。いつもよりも時間が経つのが遅く感じ、少しいらだつ。
 チン、という電子音がし、エレベーターが止まる。
 ドアが全て開くのを待っているのももどかしく、開ききる前に身体は自分の部屋へと向かっていた。
 自然と足は早足となり、緊張と不安も手伝い、息が切れてくる。
 無事でいてくれればいいのだが。
 カツカツと革靴が床を蹴る音がこだます。
 その音がなんとも焦燥感をかきたてた。
 ようやく部屋の前に立ち、大きく息を吸う。
 祈るようにして鍵を差し込む。
 一歩部屋の中に踏み込むと、嫌な感覚が全身を塗りつぶしていく。
 できるだけ足音がしないように、リビングへと進んでいく。
 外に聞こえてしまうのではと思うくらい、心臓の音が高鳴る。
 自然と出会った夜のことを思い出していた。
 花火があったあの夜、運命的な出会いだった。
 しかし今は思い出に浸っている場合ではないのだ。
 ゆっくりとドアノブをひねる。
 ……。
 やはり、か。
 今朝いたはずの場所に、今朝いたはずの姿はなかった。
 落ち着けと自分に言い聞かせる。
 とても平静でいられそうにはないが、そうでもしなければおかしくなりそうだった。
 カーテンが風になびいているのを見て、窓が開いていることに気づいた。
 ここは二階なので、やろうと思えば窓から出入りするのは不可能ではない。
 だが、しかし、まさか。
 窓の鍵を閉めたかどうか記憶を手繰りよせるがはっきりしない。
 部屋の中はいくらか散らかっていた。
 きっと彼女が行きがけの駄賃にと、いろいろなところをひっくり返していったのだろう。
 もっとしっかりと閉じ込めておくべきだった。
 少しも身動きできないくらいに。
 そうでもしなければこうなることは分かっていたはずだ。
 いつか、ぼくの元から逃げてしまうということが。
 ふと、後ろを振り返る。
「なんてことを」
 血。
 わずかな血と共に、無残に引き裂かれた骸がそこにあった。
「どうしてこんなことに」
 息をしているとは思えない。
 だいたいにして原型をとどめていなかった。
 とても正常な精神の持ち主が出来ることではない。
 悲しさがどっと襲ってきた。
 悪いのはぼくなのに。
 彼らに罪はないのに。
 後悔しても遅かった。
 軽くなった彼らの身体をそっと持ち上げる。
 そして白い布で包んであげる。
 すぐに白の中に朱がまじった。
 後で土に埋めてあげないと。
 主がいなくなった水槽はがらんとしていて、いつもより広く感じた。
 その水槽を見つめながら、自責の念で苦しむ。
 やはりネコなど拾ってくるべきではなかったのだ。
home | novel | bbs | link

<< 031-040

© gokurakuten since 2001