短編小説・ショートショート【極楽堂】
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カエルのことば
「お前さぁ、こっち見て溜め息ばかりつかないでくれない?」一瞬、誰が話をしてるのか分からなかった。
ここは、アタシの部屋。
他には誰もいない。
辺りをキョロキョロと見回す。
「おーい。こっちだ、こっち。お前の目の前だって」
目の前?
そこにあるのはペットのカエルが入った水槽しかない。
「レオナルドさまだよ。お前がそう名付けたんだろうが」
まさか。
カエルがしゃべってる?
水槽の中を凝視する。
こっちをじっと見つめる褐色のカエル。
掌くらいの大きさで、カエル特有のぶつぶつ感。世間一般の美的概念でいえば、決して美しいとはいえないシロモノだ。去年の誕生日に悪友がプレゼントでくれたものだ。毎年、奇抜なものを送ってくる彼女だが、さすがにこれには驚いた。でも、アタシはこいつの愛嬌のある顔が結構すきだ。どこか間が抜けているような顔は安心感をもたらしてくれる。
「あんたがしゃべってるの?」
冗談半分で聞いてみると、レオナルドはピョンと跳ねた。
「だから、さっきから言ってるだろうが。このレオナルドさまが話しておられるのだ」
口が動いているのがはっきりと分かる。
間違いない。
このカエルのレオナルドが話しているのだ。
「あんた、話できるんだ?」
俄かには信じがたいシチュエーションだが、アタシは結構すんなりと飲み込むことができた。
もともと感情の起伏が乏しく、普段からびっくりすることもほとんどない。とはいっても、こんな状況で、すんなりカエルと話そうとするあたり、マトモではないと我ながら思う。
「オレ様くらい徳の高いカエルは、話すことくらいわけないのだ。わははは」
楽しそうにピョンピョン跳ね回るレオナルドを見て、「へえ、そうなんだ」と少し感心する。
「でも、今まで話したことなんかなかったのに、どうして今日は話してるの?」
聞くべきことはもっとあるかもしれないが、とりあえず思いついたことを聞いてみる。
「お前が、いつも悩んでるみたいだからさ。毎日毎日、目の前で溜め息つかれる身にもなってみろよ。たまったもんじゃないぜ」
なるほど。
「それはどうもすみませんでした」
素直に謝る。
「分かればいいのだ。で、なんだ。お前の悩み。恋の悩みだっけ?」
さすがにいつも一緒にいるだけあって、よくわかってらっしゃる。
「まあ、そうなんだけど」
今年、高校二年になるアタシは、この性格も災いしてか、ほとんど男子と縁がない。そんなに可愛いわけでもないし、性格も引っ込み思案。とどめにカエルをペットにしているとあれば、好意をもってくれる男子がいないのも当たり前である。というかもともと異性に興味はないのだが、この春、初めて恋心というものを知ってしまったのだ。
「サトシだっけ?」
呼び捨てにされ、少しカチンとくる。
カエルのくせに。
なにか言ってやりたかったが、ただ頷くだけにしておく。
ヒイラギサトシ。
一年上の先輩である。決して男前ではないし、女受けするタイプでもない。いつもボーッとしているような男である。しかし、どういうわけか去年の秋、河原でスケッチしている彼を見て、惹かれてしまったのだった。普段は見せることのないようなその表情は、アタシの心をドキドキさせるに十分だった。描いている絵も目を見張るような美しさだったのだ。
「さっさとコクっちまえばいいだろうが。何をそんなに躊躇ってるんだよ」
手厳しい意見に少々萎縮する。
「でもですね。アタシ告白とか経験ないし……」
なぜか敬語。
レオナルドは呆れたように首をふる。はっきり首とわかるわけではないが。
「あのなあ。誰だってはじめは経験なんかないんだぞ。そこを通って人間進歩していくわけだ。いちいち恐れていたら、人生つまんないぞ」
生きている年数なら間違いなくアタシの方が上のはずだが、その言葉はなんとも重みがあり、言葉には年輪が感じられた。両生類のくせに立派なことをぬかしやがる。
「やってみなきゃわかんないんだから。当たって砕けろって言うだろ。グゲゲゲ」
立派なこと言ってるのは確かなのだが、語尾にグゲゲなどと鳴かれてしまっては、ありがたみも薄れる。
「いいか? 当たってくだけてこい。もしだめだったらオレが慰めてやるから」
「いや、それは遠慮します」
好意で言っているのだろうが、さすがにカエルの胸に飛び込むわけにもいかない。そんなことをすれば間違いなく嫌なシミがつくに違いない。というか、そこまで人間の尊厳を失いたくもないし。
「わかったのか」
ジャンプして水槽の壁にはりつくレオナルド。
しばらくくっついていたが、ゆっくりと滑り落ちていく。
アタシは深く溜め息をつく。
「はい。……分かりました」
「グゲゲゲ。そうかそうか。きっちり華を咲かせてこいや!」
そう言うと彼は陽気に歌いだした。
それは人間の言葉ではなく、まさにカエルの歌だった。
少しだけ勇気づけられたような気がした。
よし、がんばって告白してみよう。
だめだったらそれでいいじゃない。
何もしないよりマシだし。
うん。
決意し、レオナルドに頭を下げる。
「ありがとう。レオナルド」
そう言うと彼が少し笑ったように見えた。
アタシも思わず微笑み返す。
ガチャ。
そのとき、突然ドアが開いた。
振り向くと不思議そうな顔をした弟が立っている。
「おねえちゃん。今、独り言いってなかった?」
心配そうに見つめている弟に、安心させるように笑顔を浮かべ、優しく答える。
「グゲゲゲ」
あれ?
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