短編小説・ショートショート【極楽堂】

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トウメイニンゲン

「おい、田村」
 目の前を通り過ぎる長身の男に話し掛ける。
 だが、それに反応する素振りはなく、何事もなかったように素通りしていった。
 どういうことだろうと少し疑問に思ったものの、聞こえなかったのだろうと考えることにした。
 体調が優れなかったため、三時限の休み時間に教室に入ったのだが、誰もぼくの姿をみて反応を示さなかった。「どうしたの」と一言声をかけてもいいだろうに、と不満に思いながら席につく。
 ここにたどり着くまで、何人かに声をかけてみたのだが、やはりみな同じ反応で、まったくぼくの存在に気付いていないようだった。
 まるで、透明人間にでもなったように。
 透明人間?
 まさか。
 すっと席を立ち、隅の方で話をしている女子の集団に近づいた。
「ねえねえ」
 彼女らは自分たちの話に夢中なのか、ぼくの方を振り返りすらしない。
 思い切って肩に触れてみると、確かに感触がある。
しかし、彼女がぼくに気付いた様子はない。
 軽く揺すってみても、まったく無駄だった。
 彼女たちは芸能人の話などをして、時折けたたましい笑声をたてるだけだった。
 どうしたことだ。
 突如、不安にかられたぼくは思いっきり手をパンッと打ち鳴らしてみた。
 これならば何人かびっくりするに違いないと思ったからだ。
 けれども、その期待はあっさりと裏切られた。
 誰かがこっちを振り返るどころか、身体をびくっとさせる人すらいないのだ。
 これはもう聞こえていないと考えるしかあるまい。
 自分が透明人間になってしまったという事態もあながち間違いではなさそうだ。
 そう思ったぼくは、せっかくだからいろいろいたずらしてみようと思いついた。
 まず、廊下でいきなり上着を脱いでみた。
 上半身裸になり、ボディービルダーのような格好をしてみる。
 そんなぼくのすぐ横を、教科書を胸に抱えた真面目そうな女の子が通り過ぎていく。
 別段驚いた様子もない。
 今度は急に歌ってみることにした。
 少し前にヒットした映画の主題曲を裏声を交えて歌ってみる。
 とても美声とは思えない歌声は誰の胸に響くこともない。
 ちょうど歌がサビの部分に入ったところでチャイムがなった。
 自分の歌を評価されたみたいで、気分が悪くなり、歌うのはやめることにした。
 誰にも見てもらえないというのは何と寂しいことだ。
 急に目頭が熱くなってきた。
 もう中学生なのだから、泣くまいとは思ったものの、とうとう啜り泣きを始めてしまう。
 このままでは大泣きしてしまいそうなので、ぼくは家に帰ることにした。
 透明人間。
 なんて寂しいものなのだ。
 誰からも存在を認めてもらえないことの辛さをひしひしと感じながら、ぼくは帰途についた。

「つうか、あれって少しやりすぎたよな」
 申し訳なさそうに眼鏡の少年が呟く。
 その言葉に対し、短髪の少年が今の言葉を打ち消すように、大きく首を振る。
「やりすぎなんてことはねえよ。もともとはあいつが悪いんだ」
 眼鏡の子が言葉を続ける。
「だけどさ、あそこまでシカトするのはひどいよ」
 短髪の子は不満そうに口を結んでいる。
「まさか、自殺するとはね……」
 そして二人はお互いに黙り込んでしまった。

 ひとしきりのいたずらを終えた少年が学校を後にしようとしたとき、教室ではこんな会話がなされた。
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