短編小説・ショートショート【極楽堂】

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夏の夜の出逢い

 くそ暑い中、特に何もすることがなかった俺は、以前からとりためておいたドラマのビデオを見ていた。
うだるような暑さだったが、冷房に弱い俺は、網戸から入ってくる風だけを頼りとしていた。といってもアスファルトだらけの街の中では、その涼しささえも期待はできなかった。さらに追い打ちをかけるように、向かいのアパートからは外付けになっているエアコンのファンが、グォングォンという耳障りな音と共に熱風を吐き出していた。
「あ〜、あちぃいい。」
扇風機でも買っておくんだったと、今更ながら後悔する。
こんな夜中ではどこの電気屋もやってない。かといって、明日の朝になれば、扇風機を買おうとう気もなくなっているのだ。そうやってもう八月も終わりを告げようとしていた。
汗でひっつくシャツをバサバサと引き剥がしながら、身体に風を送り込む。気休めでしかないが、こうでもしないとおかしくなりそうだった。
ひっきりなしに流れ出る汗のせいで、喉が渇く。冷たい飲み物を求めて、冷蔵庫を物色してみることにした。
台所まで足をひきずるようにして歩いていく。といっても1kのアパートでは、距離にしてほんの数メートルしかない。
ドアを開けるとひんやりとした冷気が顔をなでる。いっそ、この中に住んでしまおうかと思えるほど、この涼しさは魅力的だった。
「はあぁ。」
安堵の溜め息をつき、目を閉じて、この快感を享受する。しかし、すぐにいかんいかんと思い直し、冷蔵庫の中に目を戻す。両の目に飛び込んできたのは、芽が出かかっているたまねぎ、何ヶ月前に買ったかもわからないようなキムチ、あとは買ったはいいがほとんど使っていない調味料と、よく冷えたビール……
「ビール!」
思いがけない宝物の発見に、思わず胸がときめく。
これが恋なのカシラ……。
そういえば前に家で友達同士の飲み会をやったとき、何本か余ったような記憶がある。全部飲みきったと思っていただけに、本当にうれしい。
魅力的なアルミの缶に手をのばし、無機質な金属の肌触りを確認する。
勝利の雄叫びをあげたい気分になった。
しかし、そんな声を発してしまえば、近所から後ろ指を指されるに違いない。そうなってしまうと肩身が狭くなってしまう。それだけは避けたいので、心の中でシャウトするだけにする。
気付くと顔は思わずにやけてしまっていた。
すぐにでも、この神からのギフトをエンジョイしなければ。
冷蔵庫を乱暴に閉じ、台所を後にする。
むあっとする部屋に戻ってきて、崇高なるビール様をテーブルの上に降臨させる。
「ビール様万歳!」
そこでひとしきりの拍手。
暑さのために大分俺もやられてしまっているようだが、そんなことはもうどうでもよかった。それよりも一刻も早く、この聖なる液体を体内に流し込みたかった。よだれがあふれんばかりに、口内にたまっていく。
「ピンポーン」
くそっ。
誰だ、この神聖なる儀式を邪魔する輩は。
はやる気持ちをぐっと抑え、ぶつぶつ文句を呟きながら、玄関まで歩いていく。
覗き窓から外を見てみるが、そこには誰も映っていない。視点をずらしながらよく見てみるが、人がいるような気配はなかった。
「なんだぁ?」
せっかくの至福のひとときを邪魔されたことに、いらつきを覚えるが、とりあえずチェーンをはずし、ドアを開けてみることにした。時間帯が時間帯なだけに、注意を怠ることはできない。慎重にドアを開ける。
やはり誰もいなかった。ドアから半身を乗り出し、辺りを窺ってみるが、誰かが歩いていく姿すら見えなかった。おかしいなぁとは思いつつもドアをしめ、しっかりと鍵をかけ、部屋に戻った。
テーブルの上には依然としてビール様がいらっしゃった。部屋の暑さのせいか少し汗をかき始めていた。早く飲んで差し上げなければ!
飛び乗るように椅子につき、よく冷えた缶を手におさめる。プルタブに指をひっかけ、ゆっくりと引く。
プシュという小気味よい音が部屋に響く。思わず感涙してしまいそうになる。震える手を必死で抑え、缶を口に運んでいく。もうすぐ、もうすぐあの黄金色の液体を我が体内にお迎えすることができるのだ!
ズドンッ。
大きな物音がして、思わず身体がびくっとなる。何とかビール様はこぼさずに済んだ。よかったよかったと、ほっと胸を撫で下ろす。
それにしても、今の音はなんだ?
何か大きな音が落ちる音。
しかも家のベランダから聞こえたような……。
二階から誰かが何かを落としたのだろうか。
ビールをテーブルに戻し、視線をカーテンに向ける。
まさか、ね。
さまざまな嫌な考えが頭に浮かんでは消えていく。
思わず身が強張る。
ゆっくりと椅子から身体を浮かし、ベランダから離れる。
今は網戸になっているはずだから、鍵はかかっていない。
ガサッ。
再び物音がする。
なんだ? なんなんだ?
両方の拳を胸の前に構える。何か武器になりそうなものを持ってきた方がいいだろうか。
しばらくカーテンの外にいるであろうモノと対峙する。
また音がなくなり、テレビの音だけが部屋に響く。その音が妙に遠くに、現実離れしているように感じた。
何分経ったのだろう。
いや、まだ一分も経っていないのかもしれない。
時間の感覚が分からない。
暑さのせいもあり、額に汗が浮かぶ。
ゆっくりと、深く呼吸を続ける。
なんの動きもなく、もしかすると気のせいかと思ったその瞬間、カーテンがいきなり開いた。
とっさに身体が後ずさる。
「よお。こんちは〜。」
そこから現れたのは、見知った顔であった。もう半年くらい会っていない高校からの友達だ。
拍子抜けしたような、安心したような何とも言えない脱力感が身体に降りかかる。
「びっくりした? びっくりした?」
何もいえないで立ち尽くす俺に対し、やつはさもうれしそうに聞いてくる。
開いた口がふさがらなかった。
「お前……。ここがアメリカだったら撃ち殺されてるぞ。」
ようやく一言。
やつは、はははと楽しそうに笑っている。
「おっ、ビールじゃん。」
そう言うとやつは愛しの我がビールを一気に飲み干してしまった。
あまりにも突然すぎて、怒ることすらできない。
「ちょっと近く通ったからさ。寄ってみたんだ。じゃね。」
そういうとやつは再び、ベランダから出て行った。
取り残された俺は、どうすることもできずただぼけっと突っ立っていた。
すぐに車のエンジン音が聞こえ、そして遠くに消えていった。
「なんなんだ一体。」
わけがわからず呆然と立ち尽くす俺。
その瞳からは愛しい人を失ったときに流れるモノが、ゆっくりと頬を伝っていった。
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