短編小説・ショートショート【極楽堂】

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真実を映すもの

 あそこは何だか気味が悪いので、地元の住人もなかなか近づかないんですよ。
 テレビなどで耳にする言葉だ。
 しかし、用が無かったら、そんなところに誰も近づかないのではないだろうか。
 地元だからといって、そんな辺鄙なところにわざわざ行くものでもあるまい。
 そんなことを考えながら、立ち止まる。
 目の前には古びた大きな洋館。周りは鬱蒼と茂る森。おまけに夕暮れ時と来ている。これ以上の条件は望めないのでは、と思えるシチュエーションだ。
 いろんな怪奇スポットを取材してきた僕でも、かなりの薄気味悪さを感じる。
 この屋敷はもう何十年も前に殺人事件が起こり、それ以来いろんな噂が飛び交っていた。今までに、何人かここに住もうとしたらしいのだが、いずれも失踪や、急死などで一年と住み続けた者はいなかった。
 何かの呪いじゃないかと言われるようになり、ここ数年は足を踏み入れる者さえもいなかった。
 不意に寒気が走る。
 後ろを振り返ってみるが、森が囁きあっているだけだった。夜の帳はもうすっかり落ちようとしている。リュックから懐中電灯を取り出す。念のためにスイッチを入れてみると、頼りなさげな光が漏れた。電池は取り替えてきたばかりだ。
 いつものように、何となく気が進まなかった。けれども、毎回嫌味を言ってくる編集長の顔が思い浮かぶと、少しながら意欲が出た。彼はこういう雑誌の編集長なのに、幽霊などは一切信じていなかった。僕自身は信じている。というか、これまでの取材の中でそれらしきものに何度も遭ったのだ。今回こそはっきりとした証拠をつかみたい。
 そう思いながら、思いドアに手をかけた。



 室内全体に響き渡るような鈍い音がし、饐えた空気が全身を包む。
 当然のことだが中は真っ暗だった。携帯も圏外。不安は増す。
 懐中電灯のスイッチをいれる。一閃の光が前方を照らす。
 中はボロボロで、家具などはほとんど腐っていた。壁には肖像画らしきものがかかっているが、男か女かが判別できるくらいで、どういう顔なのかは分からない。いくつか掛かっているところを見ると、この家の当主のものなのだろう。
 前に進むたび、みしみしと嫌な音がして、今にも床が抜けてしまうのではと心配する。足元を照らしてみると、すでに腐り落ちてる部分もあり、歩くだけでもかなりの注意力が必要だ。時折、がさがさと音がして、その度に身体がビクッとなった。 ねずみか何かだろうか。注意深く見回してみるが、動くものは見当たらない。元々は立派であったろうタンスやテーブル、イスなどが乱雑にあるだけで、特に目を引くようなものは無い。 拍子抜けのような安堵が、深いため息をつかせた。
 突然の漆黒。
 ライトが消えた。何度もスイッチを入れ直してみるが一向につかない。
 鼓動が早まる。パニック。
 自分で落ち着くように言い聞かせ、スペアの電池を探す。リュックの中を手探りでかきまぜ、ようやく電池を手にする。
 電池を取り替えようとするが、手が震えてなかなか巧くいかない。
 あせり。
 深く深呼吸をし、気分を落ち着かせる。
 背中に冷や汗が滲む。
 樹のざわめきが、ますます僕をあせらせた。
 やっとのことで電池を取り替え、スイッチを入れてみる。
 ついた。
 大きく息を吐く。電池は替えてきたばかりのはずなのだが。
 ほっと胸を撫で下ろし、前方を照らしてみると、意外なものが目に飛び込む。
 階段?
 さっきまで全然気づかなかった。一通り建物の中は見回ったつもりだったが、見落としていたらしい。さっきまでの安堵が再び不安へと変わる。
 嫌だ。もう帰りたい。
 しかし何の収穫もないまま帰るのは、癪な気もした。編集長に一泡吹かせてやりたい気持ちもあった。
 風の吹く音や、家のきしむ音は、ますます静寂を強めるような気がする。ひどく長い時間、考えていたような気もするが、実際は数分だったのかもしれない。
 心を決めて、階段を上り始める。意外としっかりしており、ミシミシきしむ音がするものの、抜け落ちる心配はなさそうだ。
 二階は幾つかの部屋に分かれていた。ドアが無くなってしまっている部屋がほとんどだ。とりあえず、ドアがないところは外から軽く窺うくらいにし、ドアのある部屋に入ることにする。
 一番奥の部屋には立派なドアがついていた。鍵がかかっているのかもしれない。もしかすると何かお宝があるのでは。
 不埒な気持ちでノブに手をかける。
 ひんやりとした感覚が掌に移る。ゆっくり押してみると、意外なほどあっさりとドアは開いた。重厚な机と本棚がひっそりと部屋を占めている。 書斎だろうか。
 足を踏み入れる。
 何か嫌な感覚が全身を包み込む。怨念とか、そういった類のものかもしれない。見てはならないものを見てしまったときのような、どうしようもないような感覚が頭を支配した。
 気のせいだろうと自分をごまかし、大きく頭を振る。
 すると、手に小さな液体が当たるのを感じた。
 よく天井を見てみると、そこから空が見えた。全部というわけではないが、天井の三分の一くらいはすでに無くなっていた。
「雨か。」
 ポツリポツリと身体に水滴が落ちてくる。
「くそっ。」
 雨具は持っていなかった。
 とりあえず雨の当たらないところがないか、辺りを見回す。どうやら隅の方は濡れてないようだ。
 足を踏み出した瞬間、眩しい光が全身を照らした。
 その後に轟音。
 雷だ。雨はだんだんと強くなってきている。
 その轟きに驚き、何秒か息が止まった。不安げに上を見ながら歩いていると、再び雷鳴がこだまし、思わず頭をおさえる。
 そのとき、部屋の隅で何かが動いたような気がした。
 誰かいるのか……? 
 まさか。
 ライトを照らしてみると確かにゆらゆらと揺れる影がある。
 思わず小さな悲鳴を漏らす。
「誰だ!」
 こっちが侵入者だということも忘れて、大声を出すが、何の反応も無い。
 ?
 人影はそのまま動こうとはしなかった。
 けれども、近づこうとすると一緒にゆらめいた。
 目を凝らし、よく見てみる。
「なんだ鏡か。」
 どうやら自分の姿に驚いていたらしい。僕の背丈よりも数センチ大きい鏡がある。端の方は曇ってしまっているものの、まだまだ十分に姿を写すことはできた。
 落ち着きを取り戻し、近くでよく見てみる。
「ひっ。」
 そこに写っていたのは全身血まみれの男だった。
 顔の右半分が真っ赤にそまり、来ている服もぼろぼろで、所々からどす黒い血が滴り落ちていたその目は何かに驚き、大きく見開かれている。
 血の気が引く。
 全身にひどい震えと寒さが起こる。
 ゆっくりと右に顔をそらすと、鏡の中の男もまた同じように顔をそらした。
 自分の手を見てみると、赤い液体が塗りたくられている。
 顔を手でぬぐうと生暖かい感触があった。
 どういう……ことだ。
 訳も分からず大声で叫ぶ。
 鏡の中の男も同じように叫んだ。
 その声は空しく部屋中に響き渡った。
 雨はますます強く、屋敷を、そして男を打ちつけていた。

 *

「まったく灰谷にも困ったもんだよ。古びた洋館の取材なんていまどき流行るかっての。」
 無精ひげを生やした男が灰皿にタバコをおしつけながら、向かい側のデスクの男に話しかける。
「でもすごいみたいですよ、あそこ。結構死んでるみたいだし。」
 あきれたようにひげの男が鼻でせせら笑う。
「んなもんあるわけねえだろ。こういう仕事やってりゃよく分かるだろうが。」
 向かい側に座っている若い男は不満そうな顔をしながら、コーヒーカップを手にし、ゆっくりと口に含む。そして深いため息とともに、
「あると思うけどなあ……」
 と、一人呟いた。ひげの男は全然耳に入らない様子で、雑誌に読みふけっている。
 そのときけたたましく電話が鳴り、すぐに若い男がとった。その表情はみるみる曇っていく。
「編集長、電話です。警察から……」
 ひげの男は驚いた顔をし、持っていたポルノ雑誌を乱暴に机に投げつけた。
「警察? なんだってんだ。」
 電話を代わる。
「あっ、編集長さんですか。実はおたくの灰谷という記者が、その……亡くなったんです。」
 ひげの男は息をのんだ。
「死んだ! な、なんでまた。」
 若い方の男も不安げにひげの男を凝視している。
「実は交通事故でして、崖から転落したみたいなんです。見晴らしのいい場所なんで、原因はよく分からないんですが……」
 遠慮がちに若い男が言葉を発する。まだ警官になって間もないのだろう。
「そうですか。あの……」
 遠慮がちにひげの男は尋ねた。
「何でしょうか。」
 男が答える。
「その場所っていうのはよく事故が起きるんですか?」
 電話の相手はしばし沈黙した。
「……ええ、どういうわけか。いろいろ噂があるみたいでして。」
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