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朝の決闘

 朝の電車というのは、いつになっても馴染めない。
 高校に通い始めて2年と5ヶ月経つが、未だに慣れることができない。通勤、通学と車内は混み合い、立っていてはとても乗れたものではない。
 その日、幸運にも座席を確保することができ、僕はうたた寝をしていた。
 ちょうど眠りに落ちようとしたとき、ポケットに振動があった。ケイタイのバイブ機能だ。眠りを妨げられ、少し不機嫌なままディスプレイに目をやる。
 電話ではなくメールだ。
 「おはようさん。めずらしく座ってんじゃん」
 猪原からだ。彼とは学校が違うのだが、同じ方面のため、電車でよくあった。
 辺りを見回す。僕の姿が見えるってことは近くにいるはずだ。だが、前に立っている人たちの中にはいない。向こう側なのだろうか。目を凝らしてみるが見えなかった。
 「どこ?」
 こっちからメールを送ってみる。すぐに返事がくる。
 「向かいの座席。このズラっぽいおっさんがいなきゃ見えるんだけど。」
 さりげなく立っている人の頭に目をやる。それらしき人物に見当をつけ、ちょっと頭をずらしその向こうを見てみる。
うつむいてケイタイをいじっている人がいた。
猪原だろう。彼も座っている。
しかし、このズラは周りの人にばれていないのだろうか、といらぬ心配が頭をよぎる。
しばらく猪原の方を見ていたが、うつむいたまま一向に顔をあげようとはしなかった。
また振動。
 「前のおっさんネギくさい」
思わず笑いそうになる。でもこんなとこで笑ったら周りから奇異の目で見られるだろうと思い、何とかこらえる。
 「笑わせんなって。変な目で見られんだろ」
うつむきながら送信。こらえようとすればするほどおかしさが膨らんでいく。
猪原の方を見ようとするが、さっきよりも人が増え、なかなか見えなかった。
ネギのおっさんは新聞を折りたたんで読んでいる。
振動。
 「隣のじいさん、たまにビクってなる」
再び笑いが襲ってくる。普段ならさほどおかしくないことでも、電車の中での一人という特殊な状況がおかしさを加速させる。だが、ここで笑うわけにはいかない。何とかこの笑いを散らさないと。
もう一度メールを送ろうとするが、その途中でまた受信。
 「ズラがずれたよ」
思わず小さく吹き出す。怖くて上は向けない。隣に座ってる女子高生が僕の方をちらっとみる。やばいやばい。何とかごまかさないと。頭の中で明日からの試験のことを考える。心なしか笑いが解消されていくような気がした。初めて勉強が役に立ったと実感した。
何とか平静を取り戻し、うつむいてた顔をゆっくりあげる。
大丈夫だ。おかしさはほとんど消えた。
だが次の瞬間、僕の瞳に飛び込んできたものは、あきらかに盛り上がっている、ネギおっさんの髪の毛(仮)だった。他の人は明らかに視線をそらしている。猪原はうつむいたまま少し震えていた。おかしさを我慢しているのだろう。
幾つかの駅を過ぎたので彼の姿がよく見えるようになっていた。
深呼吸をしてから、猪原はおもむろにケイタイをとりだした。
そして振動。
 「じいさん、またビクって。だいじょぶか??」
せっかく封印していたおかしさが再び解き放たれる。
ズラとビクの2ヒットだ。僕はまだ若い。この試練は厳しすぎる。
思わずにやけた顔になってしまい、慌てて抑える。
考えまい考えまいとすると余計に思い浮かぶ。
隣を確認すると両方とも寝ていたので安心したが、かといって一人で笑っていたら、きっとアレな人だと思われるだろう。全理性を総動員する。
今度は俺から送信する。
 「じいさんバイブ機能ついてんじゃないの?」
自業自得。
自分で書いてて思わず吹き出す。もうだめだ。
僕は席を立ち、猪原のところまで行った。二人でいれば笑っていても大丈夫だろう。どうやら今日は俺の負けだ。
 「だめだ。耐えられなかった。」
猪原の正面に立ち、そう言う。
顔をあげたその人は見たことも無い人だった。
不思議そうに僕のことを見上げている。
僕の顔は半笑いのまま凍りついた。
そのときビクッとなった隣のじいさんの向こうに、お腹をおさえて声もなく身体を震わす猪原がいた。
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