夢にも思わない

「ずっと、好きでした」
聞きなれた彼女の声がぼくにそう告げた。
小さいときからの幼馴染は、今このときから恋人に変わる。
性格は控えめで、成績も優秀、見た目にはあどけなさが残る彼女は、控えめに見ても「かわいい」という基準を越えているだろう。
今ぼくの前で、顔を真っ赤にしている彼女がとても愛しい。
一方、ぼくの方はというと、顔は人並み、成績は中の下、運動神経もいいわけではない。
そんなぼくに彼女が告白してくれるとは夢のようだった。
返事はもちろん「イエス」だが、少しの間、その幸せをかみしめる。
自然とぼくの顔もほころぶ。
「ぼくも、君のことが好きだった」
正直な気持ちが彼女に向かって、発せられる。
彼女は、はにかみながら、ぼくの方を見つめる。
その目には、涙さえ浮かんでいる。
なんて可愛いんだろう。
最近の若い女の子とは大違いだ。
ひしと思いながら、彼女の方を見つめる。
見つめあう二人。
まさにそれは恋人同士のものだった。
この幸せがずっと続けばいいのに……。

「馬鹿じゃないの?」
突然の一言。
何が起こったのか分からなかった。
夢心地の気持ちが一気に、さめていく。
「たかがゲームでしょ」
頭を鈍器のようなもので殴られた衝撃。
幸せは、その一言ですっかり消えてしまった。
まさか、ディスプレイの中の彼女から、そんなセリフを聞くことになるとは……


愛しの我が子

母性というものは、生まれつき身についているものではない。
足元でぐったりとしている小さな身体を見下ろしながら思った。
自分の子どもを愛しいと思う気持ちが、最初から身についているならば、こんなことにはならないだろう。
なかなか泣き止まないから、自分になつかないから、言うことを聞かないから、さまざまな理由で、わたしはこの子に痛みを与えてきた。日に日にエスカレートしていく虐待。増えていく生傷。
そして、ふと我にかえり思うのだ。
また、やってしまった。
言いようのない後悔の念が、全身に降りかかってくる。
火のついたように泣いている子どもを抱き寄せ、もうこんなことはしないと泣きながら謝る。
しかし、その決意は長くともたない。
もたないというよりは、一瞬すっぽりとなくなってしまうのだ。
感情が高まってしまうと、理性の歯止めがきかなくなり、何も考えずに、手をあげてしまっている。
自分が嫌になる。
母親になるにも才能が必要なのだ。激しく痛感させられる。
足元に転がる全く動かないモノを抱き上げる。
知らず知らずのうちに涙がこぼれる。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
静かに嗚咽をもらす。

そのとき、ドアが開く音が耳に入る。
けれども、わたしは抱いているままの状態で動くことができない。
動く気力もない。
「またなのか」
冷たい声がわたしに突き刺さる。
頷くことすら出来ない。
「いい加減にしてくれ」
心底嫌そうな声。
これが一生を愛を誓い合った伴侶の声か。
やりきれない思いが身を押しつぶしていく。
彼は、わたしから、その子をとりあげた。
「やめてっ」
力を込めて抵抗しようとするが、それも叶わない。
右手一本でその子をぶらさげたまま、冷たく言い放つ。
「これは、人形だ」
そういって、乱暴に投げ捨てる。
人形?
何を言ってるの?
これはわたしの子よ。
「もう俺たちの子はいないんだ」
吐き捨てるように言葉を残し、部屋を出て行った。
彼の言葉も理解できずに呆然と立ち尽くす。
何を言ってるの、彼は?
この子、生きてるのよ。
どうして投げたりするの?
たくさんの疑問が沸きあがり、だんだん混乱してくる。
あれは、わたしたちの子なのよ。

投げ捨てられた方向から、赤ちゃんの泣き声がはっきりと耳に届いた。


最後のメッセージ

もう死のう。
そう呟いた私の言葉は、誰もいない部屋に空しくこだました。
もう生きていけそうにない。
なぜ私ばかりがこんな目に合わなければならないの?
何も悪いことはしてないのに。
天井からつるされているロープをひっぱり、しっかりと固定されているかどうか確認する。
死んでやるんだ。
そうすることが私の復讐。

いつも金をとっていたK。
最初は一〇〇〇円。けれども、その額はエスカレートしていって、ついには一度に一〇万円も。そんなお金ないといったら、殴ったり蹴ったり。苦しむ私の姿を見て、薄ら笑いすら浮かべていた。
あなたには人の苦しみが分からないのね。

裏切りもののS。
いつもみんなの顔色を窺って、みんなに合わせてばかり。私はあなたの味方よ、なんて言ってたのに、すぐにいじめる方に回っていった。仕方ないのといいながらも、その目には愉悦の表情があった。
そんなことなら、最初から仲間なんていわないでよ。

私の言葉を無視したY先生。
自分のクラスにはいじめなんかないとタカをくくり、真剣に生徒の話を聞こうともしない。「私いじめられてるんです」って言ったら「お前に何か原因があるんじゃないか」って。
原因?
それがあるなら教えて欲しいわ。
私ホントに何もしてないのよ。

そして、いつも私を遠巻きに見ていた人たち。
自分たちは何も手をくださず、関与しない。
そうやって安全を確保しつつ、遠めに見ているだけ。
その目に感情はない。
私が死んだとしても誰も、本当には泣かないだろう。
嘘の涙はあるかもしれないけれど。

靴を並べ、その横に遺書を置く。
これが私からの最初で最後の攻撃。
意を決して、椅子の上に乗る。
足が震える。

誰も。
誰も私を助けてくれない。

あなたも。
あなたも見ているだけで何もしてくれないのね。
ただそこにいるだけじゃない。

いいわ。
私、死にます。
さようなら。


あんばらんすプロポーズ

「やっぱ無理だって。やめとけよ」
シートを倒しながらミチタカは言った。
相手は、評判の美人である。
付き合っている人がいないわけがない。
「うるさい。お前はだまっとれ」
語気を荒げて、タカヨシはミチタカの方をにらんだ。その目は真剣そのものである。
ミチタカはやれやれといった感じで、シートに深く沈んでいった。
そろそろ仕事が終わって、出てくるはずである。
バックミラーをちらちら見ながら、タカヨシは呼吸を整えようとした。けれども、どうしても鼻息が荒くなってしまう。目をしぱしぱさせながら、落ち着くように自分に言い聞かせる。
「そろそろじゃないの?」
読みかけの文庫本を開きながら、ミチタカは言った。
「う、うむ」
緊張の色がありありと見える。
今度はやたらと咳払いをしだす。ついには掌に「人」という字を書き始めた。これで少しは緊張が和らぐだろうか。
そのとき、タカヨシの瞳が見開いたまま止まった。
彼女を発見したのだ。
笑顔で同僚に手を振り、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
「やばい。吐き気が……」
手で口を覆う光景を、ミチタカは眉をひそめて横目に見ていた。
「やっぱ、やめたらどうだ?」
心配そうに尋ねる。
タカヨシは首をぶるんぶるんと振り、ドアのノブに手をかけた。
「いってくる」
そう言うと、タカヨシは慎重に車のドアを開けた。
彼女との距離は、もう三メートルしかない。
大丈夫だ。うまくいくはずだ。
自分に言い聞かせ、タカヨシは笑顔を浮かべた。
しかし、それは緊張のせいで、ひきつった笑顔にしかならなかった。
その姿に彼女は気付き、あっと小さく驚きの声をもらした。
驚きの表情はすぐに、笑顔に変わった。
「タカヨシくんじゃない。どうしたの?」
女神のようなその笑顔は、タカヨシの心臓を高鳴らせた。
「あ、あのさ。ちょっと話があるんだけど」
緊張のつっかえを押し出すようにして出した声は、少し震えていた。
「なにかな?」
彼女は小首をかしげた。
その素振りだけで、タカヨシは幸せを実感した。
天にも昇る思いとはこのことか。
「あ、あのさ。つ、付き合ってる人とかいるの?」
突然の質問に、彼女はちょっと困ったような顔をした。
タカヨシはそんな彼女の表情をちらちらとしか窺うことが出来ない。
まともに目を合わせることは、到底不可能に思えた。
少し考えた後、彼女は意を決したように答えた。
「……うん。いるよ」
その言葉は一気に、彼を天から引きずり下ろした。
冷や汗が身体からにじみ出る。
「そ、そうだよな。ミチルかわいいもんな。は、ははは」
笑おうと努力するが、ただの「は」の連続音にしかならない。
「ごめんね」
そんな彼の表情を察して、ミチルは言った。
「なんだよ。謝るなよ。別にただ聞いただけだよ」
ほとんど涙声になっているが、必死にこらえた。
ここで泣くわけにはいかない。
ミチルは、申し訳なさそうな表情のまま、タカヨシの方をじっと見ていたが、だんだんいたたまれなくなり、「じゃあね」と言ってその場を立ち去った。
タカヨシはしばらくその場を動けず、声にはださずに泣いていた。
輝く夕日が彼をやさしく包む。
しかし、彼の目には、その奇麗な夕日は目に入らなかった。
後から後へと、頬を伝わる温かい涙。
やがて、ひっくひっくとしゃっくりを始めた。
しばらくすると、頭の上にポンと何かが乗せられた。
「だから無理だって言っただろ」
頭の上に手を乗せたままミチタカが声をかける。
「うるさい」
タカヨシはその手を乱暴に払った。
「おー、こわ」
茶化すように、大げさな素振りでミチタカはその手を退けた。
相変わらず泣き続けるタカヨシを後にして、ミチタカは車に乗り込んだ。
依然動こうとしないタカヨシに、しょうがなく窓を開けて呼びかける。
「ほら、早く帰るぞ。お母さんも心配してるから」
お母さんという言葉に反応したのか、タカヨシは、とぼとぼと車に向かって歩き始めた。
「ったく。やっぱ似るもんだなぁ。初恋の人が保母さんとは」
ミチタカは窓を閉めながら、呆れたように呟いた。


真夜中の漂流者

いる。
直感だった。
何かはわからないが、絶対その場にいる。
ここは俺の部屋だし、鍵も閉めたはずだ。もし誰かが入ってきたら、ドアの開ける音、もしくは窓を壊す音なんかが聞こえるはずだ。
しかしそんな音は一つもしなかった。
いくら眠っていたとはいえ、そんな大きな音がすれば気付くはずだ。
暗闇の中、がさがさと何かが動く気配。
意識をそこに集中させる。
やはり、いる。
ちょうど人間くらいの大きさのモノが、ベッドのすぐ横にいる。
なんなんだ?
寝ぼけていた頭が急速に回転を始め、はっきりと目が覚めていく。
身体はゆっくりと熱を帯び始める。
幽霊?
思わずそんな言葉が頭に浮かぶ。
そんな馬鹿な……。
頭では否定しても、完璧にそれを打ち消すことが出来ない。
のっそりと立ち上がる気配がした。
起きていることを気付かれてはやばいと思い、目を閉じる。
「何か」は俺を見下ろす位置に立っているようだった。
上から覗き込まれている感覚。まるで俺のことを品定めしているようだ。冷や汗がじっとりとにじんでくる。
そのまましばらく、寝ているふりを続けた。
沈黙の対話が続く。
『ぴりりりりりり』
突然、静寂を引き裂くけたたましい音が部屋に鳴り響く。
思わず身体がびくっとなるが、何とか抑える。
どうやらメールの着信音のようだ。
こんな時間に誰が……。
やつが何らかの行動を起こすのではないかと気が気でない。永遠とも思える時間。部屋全体に響き渡る無機質な電子音。
早く消えてくれ。心の中で、叫ぶ。
寒気と熱さが全身を駆け巡る。心臓はマラソン直後のように激しく暴れている。
ようやく音がやみ、再び静寂が訪れる。
すると、それと同時に、辺りに立ち込めていた嫌な空気が、すっとなくなっていくように思えた。
部屋全体がゆっくりと元の姿を取り戻していくような感覚。
いなくなったのか?
辺りに意識を集中させながら、自分に問い掛ける。
しばらく目をつむったまま様子を窺ったが、さっきのような嫌な感覚は全くと言ってよいほど感じられなかった。どうやら何事もなく済んだようだ。
胸をなでおろし、深く溜め息をつく。
一体さっきのはなんだったのだろうか。
確かに何かがいる気配はあった。
じっとりと粘りつくような視線が、俺の全身に冷や汗を産みだしたのだ。
ゆっくりと身体を起こす。
部屋に何か変わった形跡はなく、いつも通りのちらかった部屋だった。
さっきの正体はなんだったのかと、釈然としない気持ちがあったが、今となってはどうすることもできず、再び寝ることにした。
ふと、小さな赤い点滅が目に入った。
さっきのメールの着信を知らせるランプだ。
こんな時間に誰だったんだろうと思いながら、ケータイを手にする。
ディスプレイに目を落とし、ゆっくりとそこに書かれた文字を読む。
『今この中にアレが入っていマス。でもご安心くダサい。5分以内に誰かニコのメールをそのまま転送しテモラえば、アレはあなたノトコろにはもう寄りツきませン。時間を過ぎテしマウと身の安全は保証できマセん。さぁ今すぐ憎いアイツにこのメールを送りマシょう♪』
なんだ、これは!
送り主は見たこともないようなアドレスだった。当然メモリには入っていない。ランダムに生成されたアルファベットと数字の羅列だ。
到底信じられる内容ではなかったが、さっきの嫌な感覚を思い出すと、あながち嘘とも思えなかった。
どっちにしろ気味が悪いので、誰か適当な人に送りつけることにした。
前から気に食わないと思ってたあの男に。
アドレスは残ってしまうが、後で適当にごまかせば何とかなるだろう。
とりあえずこの厄介なものをどこかにやってしまいたかった。
手馴れた手つきで転送する。
送られたのを確認し、ふっと息をつく。デジタルの時計は三時を示していた。もう一度寝直そう。
これでゆっくり眠れそうだ。

翌朝、携帯を見ると昨日の変なメールはなくなっていた。
夢だったのか?
それにしてもリアルな夢だった。今でもあの嫌な感覚は甦ってくる。それから変なメールがきた。うさんくさい内容だったが、指示に従い、アイツに送った。
アイツ?
誰だ、それ?