キモノ、キツケ、ナラウ

着物の着付けを習おう。
着こなせたら格好いいかな、というくらいの理由だった。
ちょうど近くのカルチャーセンターで男性きもの着装という講座が開かれることもあり、参加してみることにした。
まず着物を手に入れなければならない。
ネットでいろいろ調べてみると、一式がセットになったものがいろいろと出ていることが分かる。
とりあえず、さほど高くないものを注文。
着物、帯、襦袢などは当然のこと、足袋、雪駄、巾着などなど十分すぎるほどの量が送られてくる。
これで準備は万全。
講座は第4土曜の午前だ。
初日。
指定されたものをバッグに詰めて、講座が行われる和室に向かう。
10分ほど前に来たが、まだ誰も来ていない。
どのくらいの人が来るんだろ。
少し経ち、着物の女性が入ってきた。おばさんというか、おばあさんというか、髪を上にまとめ、颯爽とした出で立ちだ。
「○○さんですね」と名前を呼ばれたので、「はい」と答える。
あれ? なんで自分だとわかるんだ。
もちろん名簿はあるんだろうけど、顔写真がついているわけでもないだろうし。
「今回の講座は○○さんだけです」
と笑顔で先生はおっしゃった。
え?
まじで??
半年くらいあるんだけど。
「初回から何なんですが、今日はこれから用事があるので、早めに切り上げさせてもらいます。とりあえず使うものの確認をしましょう」
言われるままに持ってきたものを広げる。
先生は着物の着付けだけでなく、礼法も専門になさっているそうで、おじぎの仕方なども教えていただく。
本来は2時間の講座なのだが、ひとりしかいないということで、1時間半に縮小されることになった。
というわけで、マンツーマンでの着付け講座が行われることになったのだった。
ぜいたくといえば、ぜいたくなことなのだが、はっきりいってなかなかやりづらい。
常に見られているという緊張感がある。
先生は厳しいという感じでもないのだが、それでもちょっと威圧感がある。それがますます緊張を誘い、一度失敗すると連鎖するように小さいパニックが襲ってくる。
その効果もあってか、講座が終わる頃にはちゃんとひとりで着られるようになった。
そんな思いをしてわざわざ着られるようになった着物だが、3年くらい経った現在、まだ着たことはない。


あの日のげんこつ

学校において体罰は禁止されている。
これは、たたく、蹴るなどの直接的な暴力に関わらず、廊下に立たせておくなどという肉体的な負担がかかるものも含まれる。
近頃、体罰はかなりデリケートなものになっている。ちょっとでも手をあげようものなら、すぐに何かしらの問題に発展する。何かとクレームをつけてくるモンスターペアレントの増加もあり、この傾向はますます強まっている。
体罰はいけないことである。
それはもちろん疑いようがない。
ただ、子どもというのは人を見るもので、先生が怖くないとわかれば、すぐに調子に乗るということも否めない。
わたしが小学校1年生のとき、当時の自分から見たらおばあさんと言っても過言ではない女性が担任だった。
この先生は、いかにも先生といった感じで、かなり厳しく、しばしばげんこつがとんでくることも珍しいことではなかった。かくいうわたしも筆記用具でロボットごっこをしていて、げんこつをくらったことは今でも覚えている。
あるとき、隣のクラスの先生が産休か何かで休み、そのクラスを2つにわけ、それぞれを別のクラスで預かることになった。
そうして、うちのクラスに10何人かが来たのだが、そのとき軽い衝撃を受けた。
彼らの何人かが、机の上に覆い被さるような格好で授業を受けていたのである。
こんなことは我々からは考えられなかった。うちのクラスは常に姿勢を正しており、ほおづえをついて授業を受けようものなら、すぐに雷が落ちてきた。
なので、うちのクラスと隣のクラスの生徒は同じ教室にいても一目瞭然なほど、はっきりと違っていた。ちなみに隣のクラスの担任は若い女性の先生である。
暴力は相手に恨みを残すものである。
だが、当時げんこつを受けたその先生を恨んでいるかというと、そんなことはない。
よくよく思い返してみると、げんこつを受けたのは別にその先生だけではない。一応断っておくが、わたしが悪ガキで頻繁にそういうことがあったわけではない。たぶん6年間のうち、数回だからこそ記憶に残っているのだと思う。
悪いことをした結果、げんこつを受けるというのは、自分にとって当然のことだった。
これはよく考えてみると、家庭環境によるところが大きいのかもしれない。昨今は家庭における、そのようなプロセスがないため、体罰を受けると過剰な反応を示すのではないだろうか。
暴力に依らず、相手を諭すというのはもちろん最上の策である。
だが、親と言ってもただの人間であり、聖人ではない。果たして言葉だけですべてを教え諭せるものであろうか。


山形日帰り旅行記

「ゴールデンウィークに何か予定あるの?」
Oから連絡がくる。
「特にないけど」
「じゃ、どっか行く? 日帰りで」
「いいよ」

というわけで、5月3日(木)に日帰りで出かけることになった。
この時点でどこへ行くのか、わたしはあまり分かっていない。
だいたいいつもこんなノリで予定は決まる。
どうも今回のテーマは芭蕉らしい。
あとは川下りをするとか。
まあどうなることやら。
(Oについての参照は → Oの斬新なる発明 これもO力なのか

04:55
起床。
いつも通り目覚ましより早く起きて、鳴る前に止める。
このまま出ると多少早く着きそうだ。
だが、構わずに出ることにする。
あと、なぜか右下の奥歯の方が痛い。

05:35
出発。
交通情報の標識に「大雨洪水警報」と出ている。
よし、今日は川下りだ!
とりあえず出発した旨をOに連絡。
待ち合わせ場所も変更。

07:20
合流。
当然のように雨が降っている。
今日のおやつ(ラスク、アメ)が支給される。
コンビニで飲み物などを買う。
今回発見したのだが、Oが車に乗るとやたらと窓ガラスが曇る。
もちろん湿度の関係もあるのだろうが、こちら側のガラスが曇ってないのに、助手席側のガラスは曇るということもあった。代謝がいいらしい。そういうもんなのか。

08:40 道の駅あ・ら・伊達な道の駅【宮城県・大崎市】
トイレ休憩。
こんな時間だが、結構駐車場はいっぱい。

09:45
見たことがないデザインのローソンがあったので、寄っていく。

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ちなみにOはカフェオレについている某アイドルのグッズが欲しいらしく、この旅中に何本も買っていた。
裏手にある川が見事な激流になっていたので、動画撮影しておいた。
鯉のぼりが一匹、暴風のため、木に引っかかっていた。

11:00 龍横健【山形県・新庄市】
雑誌で見つけた店で昼食。
コンビニを改装して作っているらしく、よく見ないと通り過ぎてしまいそう。
だが人気店らしく、開店前から何台も車が止まっていた。
肉そばを食べる。(詳しくは→龍横健に記載)

肉そばを。May 03, 2012 at 11:05AM

11:30
川をはさんだ鳥居があったので、近くまで行ってみた。
雨はさほど強くない。

川をはさんだ鳥居May 03, 2012 at 11:31AM

11:50 道の駅とざわ【山形県・最上郡戸沢村】
思いっきり韓国一色。

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建物もそうだし、キムチやチヂミなども売っている。
ポップンコーン味と書いてあるコーンシルクティーと、松の芽ジュースという日本ではまずお目にかかれない飲み物を購入。
コーンシルクティーはかなり薄いコーヒー牛乳といった感じ。かすかに甘い。
松の芽ジュースはニオイがかなり強烈。食品のニオイというか、薬品か香水。
味はまぁ一口でもう勘弁。

施設のおじさんらしき人に、Oが「今日って川下りやってますか?」と尋ねると、「やってますよー」という答え。
嘘だろ。

13:00 最上川川下り事務所
強風で車が揺れる。
駐車場がうまっているので、まさかと思って行ってみた。

もちろんやっておらず。
強風のため本日運休という旨の張り紙がしてあった。

こんな天気の中行ったら、普通に沈むだろう。
滝があったが横風に吹かれて、横に落ちていた。
Oが某不思議発見的なレポートをしているのだが、雨と風でそれどころではない。
せっかくだからということで、陸にあった船で記念撮影。

さあ、これでこの旅のメインは終了。
これからどうするのだ。

13:50 ウィンドーム立川【山形県・庄内町】
あてもなく走っていると、何台もの風車があった。
さらに「風車の町」という標識が。
とりあえず行ってみる。

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ウィンドーム立川という、風力発電に関する施設のようなものがあった。
展望台があったのだが、節電のため、エレベーターが停止。
階段を上る。
ちなみに駐車場には我々の車しかない。

施設は閑散としていた。
オリジナル曲のカセットテープが売っていた。
「カセットうちにないんだよな……CDだったら買うんだけど」
とOがくやしそう。
ちなみに500円。
結構な値段だ。

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↑ さきほどかった傘をかぶって、発電に挑戦するO。

15:10 加茂水族館【山形県・鶴岡市】
クラゲがメインの水族館。
何十種類ものクラゲがいる。

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ちょうどショーが始まるところだったが、すでに人だかりができている上に、雨だったので、見なかった。

クラゲアイスクリームが売っていたので、買ってみた。

クラゲアイスクリーム (ラ•フランス)May 03, 2012 at 04:00PM
コリコリした食感のものがまじっている。
これがクラゲか。
別にまずくはないが、入れる必要もない。
Oはクラゲソフトクリームを買っていた。

今度は山形市へ向かう。
車中では、仕事でラジオインタビューを受けたOのCDが流されている。(2放送分)

ここで山越えとなるが、天候がものすごいことになっている。
大雨、もや、薄暗さと、これ以上悪くなることがあるか、という悪条件。
5月だが、山肌は雪で覆われていた。
たまに大きく水をはねあげ、ちょっとしたスプラッシュだった。
スリリング。

18:30 金ちゃんラーメン【山形県・山形市】
本当は、ケンチャンラーメンに行こうとしたのだが、やっていなかったので、近くにあったこちらの店に。
本日2杯目は、味玉チャーシューメン。

味玉チャーシューメンMay 03, 2012 at 06:41PM

19:30 道の駅天童温泉【山形県・天童市】
足湯があるよ、というので行ってみたが、すでにいっぱい。
周りの暗さもあり、部族の会合のような雰囲気を醸し出す。
さすがにこれには混ざれないな。
帰りにそなえてレッドブルでエネルギー補給する。

21:30
解散。
Oが「スガリ」に背中を3回刺されたという話を聞く。
それよりもスガリって全然耳になじみがないのだが、普通にみんな使うものなのだろうか。

あとOも疲労しているらしく、
「あ、そこ左ね」
と言うので、わたしが左に行くと、
「いや、左左」
と右を指さしていた。

22:55
帰宅。
1日に10時間以上運転するのは初めてじゃないだろうか。
かなり疲れた。
だが、休日らしい実に非日常的な1日であった。

後日談だが、出発する際に痛いと言っていた奥歯。
実は歯ではなく、口中に傷ができて、そこにばい菌が入っていた模様。
右頬が腫れて、連休中の1日は休養に費やされた。


ナミダナミダ

答辞を読むことになった。
卒業式のときに、卒業生代表が読む例のアレである。
もちろんその時期は、受験まっただ中なわけだが、幸運にも推薦入試で高校が決まっていたわたしには、時間は十分にあった。
ということもあってか、かなりスパルタな指導だった。
まず原稿は書いても書いても書き直し。
細かい部分を修正され、そのたび原稿用紙に向かう日々。放課後ひとり残って書いていると、受験生であるクラスメイトから応援されることもあった。
ちなみに担当してくださった先生は、国語の先生なのだが、それと同時に部活の顧問でもあった。(参照:テニスは○○だ
部活のときの彼は、他の部活の人たちが引くほどの厳しさで、よく我々は怒鳴られたり、説教されたりしていた。
一方、国語の時間はそんなことはなく、どちらかというと温厚なスタイルであった。怒られたりすることも、まずない。
そしてこの答辞に関しては前者のスタンスであった。
書き直しを繰り返し、やがて日が暮れると、犯人でもないのにカツ丼をとってもらった。
さらに、なぜか残っていた他の先生方も教室に集まってきて、総勢6人の先生(しかも全員男)が、自分を取り囲むフォーメーションを取った。
その中で遠慮しないで食べろというのは土台無理な話である。
そもそもわたしは昔から緊張すると、ものが食べられなくなるタチで、大会の前日の夜からほとんど何も食べないということもある。無論そんなシチュエーションで完食できるはずもなく、ほとんど残してしまった。
そうこうして何とか書き上げた原稿をもって、今度は読む練習である。
体育館の壇上に立ち、朗々と原稿を読み上げる。
「そこは感情こめて」
「もっと間をあけて、伝わるのを待って」
「そのときは悲しかったかもしれないが、今は悲しくないんだから、そんなに暗い口調にならず、今から昔を振り返るような口調で」
などなど、さまざまな注文が飛んできて、そのたび中断して、読み直した。
クライマックスで何とか泣けないのかという提案もあったが、さすがにそこまで感情をコントロールできなかった。
そして迎えた本番。
アドバイスされたことを総動員して、見事答辞は成功に終わった。卒業生らがすすり泣く中、わたしは練習の辛さを思い出して泣きそうになった。
後日、PTAの人からも、ここ数年で1番よかったとのお言葉をいただいた。
しかし、ひとり夜9時まで残されて、男の先生たちに囲まれるのは、もう御免である。


花粉症だった

 花粉症だった。
 こういうと、「え? 花粉症って治るの?」と聞かれる。
 それに対して「イエス」と答えよう。
 実際自分がそうなのだ。
 思い返してみると、小学生のときからすでに目がかゆくなってた。なんだかよくわからないかゆさに戸惑い、袋に入れた氷で目を冷やしていた。
 中学生のときは鼻水がひどかった。
 住んでいるところが田舎なもので、中総体の会場のすぐ後ろが森だった。ソフトテニスをやっていたわたしは、コートチェンジのたびに、後輩からティッシュをもらい鼻をかんだ。
 高校のころは、杉ではない別な花粉にやられていた。みんなが収まった頃になりだすので、なんとも周回遅れのような気分だった。
花粉という言葉が認知され、天気予報でも花粉情報が流されるようになったのはこの頃ではなかったか。
 果たして、どのようにしてわたしは花粉症を治したのか。
 これに対し、はっきした答えはない。
 なので「○○をやればいいですよ!」というアドバイスを期待された方にはここで謝っておこう。
 ただ、なんとなくあの時期に治ったとのでは?と考えられることがある。
 当時、食品添加物に警鐘を鳴らした本が、やたらと流行った。後に、それに対抗するような本もいろいろでた。
 わたしはそれの影響をもろに受けた。
 何か食べ物を買うときは原材料の欄をチェックし、極力悪いとされる添加物はとらないようにした。
 そういう生活を何ヶ月かしていたら、どうも体質が変わったようで、考えてみるとその辺りから目のかゆみがなくなった。
 つまりこれが花粉症改善の原因であったのではないかと考えられるのだ。
 そんな話は聞いたことがないのだが、ほかに思い当たる節がない。劇的に生活を変えた覚えもないし、食生活も当時とさほど変化ない。
 今では、花粉症の時期になっても目がかゆくなることもないし、そんなに鼻がひどくなることもない。(ただし鼻炎の気があって、年中くしゃみはでる)
 あの目の玉を取り出して洗いたくなるようなかゆさや、鼻が詰まって味が分からなくなる苦しみから脱出できたのは非常に喜ばしいことだ。
「今年から急に花粉症になりました」
というのがあるのだから、
「今年から急に花粉症治りました」
というのがあっても、さほどおかしくないだろう。
 ただ自分以外で後者の言葉は聞いたことないけども。