カテゴリー : 高校

密着取材

わたしが通っていた高校はちょっと普通とは違う高校であった。
まず、部活がない。
修学旅行がない。
制服がない。
校則がない。
時間割が全員異なる。
それでいて公立。
という全国でも類を見ない斬新な学校であった。
当時、開校したばかりということもあり、全国から注目を浴び、他校の先生、教育委員会関係者、テレビや新聞などのマスコミなど多種多様な人が学校を見に来ていた。
その流れで、遠距離通学の実態というテーマでテレビの密着取材を受けることになった。
ちなみに、どのくらいかかるかというと、まず家から駅まで車で約15分、それから電車で最寄りの駅まで約80分、駅から学校まで歩いて約10分、だいたい片道で1時間半の道のりである。
撮影は朝食を食べているところから始まった。テレビカメラを向けられながら食事をするという経験はなかなか出来るものではなく、多少緊張する。
次は駅までの車中で、カメラは我が家の車に乗り込み、運転している父にインタビューをしていた。
今度は電車内である。
いつもなら座席を確保したらすぐに眠りにつくのだが、ちょっといい格好をしようと思って、英語の教科書などを読んでいた。他の乗客は何事かという目でわたしの方をチラチラ見ている。何の変哲もない男子高生がカメラを向けられて、英語の教科書を読んでいるのだから、奇怪な光景であっただろう。
さすがに数十分するとだんだん眠くなってきて、いつものように眠りに入る。
しばらくして、ゆっくり目を開くと目の前にテレビカメラのレンズがあった。
どうやら寝ている顔をアップで撮っていたようだ。すぐ目の前にあったことに多少驚きつつも、平静を装う。すると、カメラはゆっくりと下がって行き、何事もなかったように他のスタッフのもとに戻った。乗客が奇異の目でわたしを見ているが、特にノーリアクションでやり過ごす。
電車を降り、学校まで歩いていく。
その間は特に何もなかった。
それから午前中いっぱいくらいカメラがついてきた。されてみてわかったのだが、ずっとカメラを向けられると、普通の人間は相当ストレスを感じる。もちろん芸能人などはそういうことに慣れているのだろうが、一般人にとっては異常な状態である。これには参った。
無事、撮影も終わり、夕方のニュースでそれが放映された。以来、学校見学でそれがしばらく使われていたらしく、知らない子から「あー」みたいな顔をされることがあった。


怒る男

高校3年間と大学の約1年、合わせて4年以上も電車通学だった。距離的にも結構あり、1時間以上も揺られている。
そのため、たまに変な光景に出くわすことがあった。
わたしは出発駅から乗るため、とりあえず早めに来て座席を確保する。あとは本を読んでいるということが多いのだが、そういう気にもなれないときは、何となしに乗客を見ている。
そこで、とても印象深いおじさんがいた。
確か2~3回は乗り合わせたと思う。
足の不自由な人でいつも杖をついている。歳は50代くらいで、いつも険しい顔。近くに人を寄せつけないようなオーラを漂わせていた。
この人はやたら車内で怒るのだ。
あるとき、ほぼ座席が埋まった状態で、その人が乗り込んできた。
数人のおばさんたちが、ぎゃあぎゃあと笑い声を交え、大きな声で話をしている。迷惑なほどにうるさいが、車内ではおなじみの光景だ。
おじさんは怒髪天を衝くといった表情でそのおばさんたちのところへ、ツカツカと歩いていった。
例えばここで「お前たち、静かにしろ!」などと怒るのならば、周りのみんなも「うんうん」となるところだが、彼の第一声は「お前たち、おれのこと馬鹿にしてるだろっ!」だった。
怒鳴られたおばさんたちは、きょとんとした顔で彼を見ている。おじさんは食いかからんばかりの勢いで怒り続ける。
「そんなに足の不自由なやつがおかしいか? あ? これだから女はよ。へらへら笑ってんじゃねえよっ!」
どうやら彼は、自分のことを馬鹿にされていると思ったらしい。
しかし、どう考えてもそういう感じではなかった。ただの雑談の中で笑っていたとしか思えない。
おばさんたちは互いに目を合わせて「そんなこと言ってないけど……」「ねえ……?」「何この人?」などと言っている。
そんなことは聞く耳もたずに彼はまだ怒り続けている。おばさんたちはかなり困惑しながら、うつむいてただそれに耐えている。時折、彼が杖で強く床をつく音が、周りを静まり返らせる。
なんだ、この光景?
こわっ。
ひとしきり怒ってから、おじさんはそこから離れた。が、少し離れたところでまた別な女性に怒鳴っていた。
このまま自分のところまで来るんじゃないかと気が気ではなかったが、運良くそういうこともなかった。
彼は、よほど女性というものに憎しみを感じているに違いない。それにしてもあんな理不尽な怒り方をしないでもいいだろうに。


神の試練

いったい何が原因だったのか。
混乱する頭でその要因を探り出そうとするが、答えは出てこない。冷静になれないからなのか、それとも特別な理由など、初めからなかったのか。そもそも答えが見つかったところでどうなるものでもない。
とにかく今は、どうやってこの事態を乗り切るかということだ。
少なく見積もってもあと1時間はこの地獄を耐え抜かねばならない。
策がないこともない。ただそれを用いると自分が「逃げ」になってしまう。変な意地がむくむくと起き上がり、わたしを地獄に引きとめた。
高校から自宅の最寄りの駅まではだいたい1時間20分くらいかかる。
乗り始めは何ともなかったが、少しして急に腹が痛み出した。あいにくその電車にトイレはない。大人しく途中下車をすればいいものの、なんとかなるだろうと高をくくって、強行突破にでた。
それが間違いだった。
まるで悪魔にお腹を押されているかのような痛みが、間断的に襲ってきて、わたしから冷静な思考を奪っていく。
通り過ぎる駅を指折り数えながら、終点を待つ。
ああ、神よ。我を救いたまえ。
「あれ? ○○くんじゃない?」
聞きなれない声に自分の名前を呼ばれ、振り返る。そこには小学校のときの同級生がいた。中学校が違うので、4年振りくらいの再会であった。
「え? あ、ああ。どうも」
なぜこんなときに。
「わー、懐かしいね。どこの高校行ってるの?」
神は救済ではなく、試練を我に与えたようだ。Oh, my GOD!!
そもそも、その人とは小学校のときにあまり話した記憶がないのだが、このときばかりは、なぜかやたらと話しかけてきた。できるだけ平静を装い、彼女の問いに答えを返していく。
やたら楽しそうに話しかけてくる彼女に対し、そっけなく短文で答えるわたし。恐らく冷たい人だなぁと思われただろう。
しかし、こっちにはそんなことを気にしている余裕などない。 生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
あまりにもつれない態度をとったからか、彼女はだんだんと口数も少なくなり「じゃ、また」と遠慮がちに別れを告げ、その場を去った。
ずいぶんと話している間に、だいぶ電車も進んでいた。ゴールはもうすぐだ。
やった! やりとおしたぞ! どうだ、神め。
終点に着き、早足でトイレに駆け込む。
そして、とうとう穏やかな安息が訪れたのであった。


通っていた高校は私服だったので、入学式や終業式、卒業式などの式典のときは、スーツ着用が義務づけられていた。
当たり前のことだが、式自体は厳かに行われ、いつもとは違う重々しい空気に、生徒たちの表情も変わって見えた。
ネクタイを結ぶことにも慣れた高校最後の式典、卒業式。
新しい学校だったということもあり、新聞やテレビなど、マスコミ関係者も結構な数が来ていた。
とはいっても、何か特別な役割があったわけでもないので、緊張もせずに「おお、ずいぶん来ているな」くらいの軽い気持ちで眺めていた。
やがて式が始まり、卒業生入場となる。
みなが引き締まった顔で、講堂へと入ってくる。
その中で一際異彩を放つ、1人の男。
服装はスーツで、頭にはゴム製の馬のマスクをかぶっている。
彼が入ってくると会場が少しざわついた。
だが、そんなことは意に介さない様子で、馬は普通に入場し、席についた。
その少し後ろから、アフロのズラとサングラスを着用した男も入ってきたが、さすがに馬のインパクトには敵わない。
その2人ともが友人であった。
馬の男は普段からいろんな事件を引き起こすトラブルメイカーなのだ。
妙に居丈高な態度をとったりするので、よく周りからからかわれていた。
結局、ただ馬のマスクをかぶって参加したというだけで、他に大きな事件はないままに式は終了した。
式後、そのまま友だちの家に泊まることになっていた。もちろん馬とアフロも一緒だった。
そして、別の友だちからすごい話を聞かされた。
「そういえばさ、Wのお母さん泣いて先生に謝ってたよね。『式を台無しにしてすみません』って。そんで、Wに向かって『もう家に帰ってこなくていいっ!』って怒ってたよ。これはもう勘当だな。はは」
おいおい、大丈夫なのか、W。
当の本人は「いいのいいの、別に」とケロッとした様子で、そのまま家に連絡もせずに一緒に遊んでいた。
すごいよ、W。
日が暮れて、今日のことがニュースでやっているかもしれないと誰かが言い出し、みんなでテレビを囲んだ。卒業式は取り上げられていたものの、結局馬もアフロも現れなかった。
幾分がっかりしながらも、まあそんなもんかと思いながら、夜通し遊び続けた。
そして次の朝、馬が新聞に大きく掲載されていた。わたしたちは交互に読みあって大笑いしたのであった。


コート上の悲劇

中学のときのハードな部活生活に比べ、部活がない高校生活は運動不足になりがちだった。通学も電車だったし、帰る頃には日が暮れているので、それから運動という気にもなれない。休みの日も屋内で遊ぶことが多かった。
あるとき、たまには運動しようかと思い立ち、弟を誘って近くのコートでテニスをすることにした。家にいた母の車に乗せられ、コートまで移動する。
そのコートはハードコートで、確か名目上は全天候型だったと思うが、雨の後は水溜りができて、まともにできるものではなかった。そのときも2日前くらいに雨が降っており、端の方に小さな水溜りがいくつか見られた。しかし、コート上はきれいなものだったので、特に問題ないと判断した。そして、これが間違いだった……。
久しぶりのまともな運動なので、ケガをしてはたまらんと、念入りに準備運動をする。
かなりブランクが空いてのプレイだったが、さすがに身体は覚えているらしく、意外とまともに打つことができた。現役テニス部の弟とストロークを続ける。
だんだん身体も温まってきて、それなりに早い球を打ち始め、コースを狙ったりもする。それに合わせ運動量もどんどんあがっていく。ダッシュアンドストップを繰り返し、ボールを打ち返す。
弟が少し大きめのボールを打ち、それを追いかけてコートから少し離れたところまで走る。
そこで視界が暗転した。
水溜りに足をとられたのだ。「ボグィッッ」というテレビでしか聞いたことのないような音が頭の中に響く。
派手に転んだわたしの姿を見て、弟と母は大笑いをしていた。けれども立とうとしても立てない様子を見て、ようやくただ事ではないと察知し、駆け寄ってきた。
結果、右足首にヒビが入っていた。
病院でギブスをはめられ、松葉杖生活がスタート。夏場のことだったので、かゆいところがかけないというのが、何とももどかしかった。電車ではここぞとばかりに優先席のシートの前に立ちはだかった。それでも必ず譲ってもらえるというものでもなかった。
一ヶ月ほど経ち、ようやく完治し、ギブスを外す。
そこに見た光景は一生忘れられないだろう。自分のものとは思えないほど、恐ろしく細くなった右足が申し訳なさそうに付属していた。ケガは治ったものの、そんな足ではもちろん歩くこともできない。それどころか立とうとしただけで激痛が走るのだ。
これ、元に戻るのか……?
痩せ細ろえし我が右足を見ながら、かく思いき。
もちろん今では元通りとなっているわけだが、もう2度と骨折はごめんだ。