カテゴリー : 小学

あの日のげんこつ

学校において体罰は禁止されている。
これは、たたく、蹴るなどの直接的な暴力に関わらず、廊下に立たせておくなどという肉体的な負担がかかるものも含まれる。
近頃、体罰はかなりデリケートなものになっている。ちょっとでも手をあげようものなら、すぐに何かしらの問題に発展する。何かとクレームをつけてくるモンスターペアレントの増加もあり、この傾向はますます強まっている。
体罰はいけないことである。
それはもちろん疑いようがない。
ただ、子どもというのは人を見るもので、先生が怖くないとわかれば、すぐに調子に乗るということも否めない。
わたしが小学校1年生のとき、当時の自分から見たらおばあさんと言っても過言ではない女性が担任だった。
この先生は、いかにも先生といった感じで、かなり厳しく、しばしばげんこつがとんでくることも珍しいことではなかった。かくいうわたしも筆記用具でロボットごっこをしていて、げんこつをくらったことは今でも覚えている。
あるとき、隣のクラスの先生が産休か何かで休み、そのクラスを2つにわけ、それぞれを別のクラスで預かることになった。
そうして、うちのクラスに10何人かが来たのだが、そのとき軽い衝撃を受けた。
彼らの何人かが、机の上に覆い被さるような格好で授業を受けていたのである。
こんなことは我々からは考えられなかった。うちのクラスは常に姿勢を正しており、ほおづえをついて授業を受けようものなら、すぐに雷が落ちてきた。
なので、うちのクラスと隣のクラスの生徒は同じ教室にいても一目瞭然なほど、はっきりと違っていた。ちなみに隣のクラスの担任は若い女性の先生である。
暴力は相手に恨みを残すものである。
だが、当時げんこつを受けたその先生を恨んでいるかというと、そんなことはない。
よくよく思い返してみると、げんこつを受けたのは別にその先生だけではない。一応断っておくが、わたしが悪ガキで頻繁にそういうことがあったわけではない。たぶん6年間のうち、数回だからこそ記憶に残っているのだと思う。
悪いことをした結果、げんこつを受けるというのは、自分にとって当然のことだった。
これはよく考えてみると、家庭環境によるところが大きいのかもしれない。昨今は家庭における、そのようなプロセスがないため、体罰を受けると過剰な反応を示すのではないだろうか。
暴力に依らず、相手を諭すというのはもちろん最上の策である。
だが、親と言ってもただの人間であり、聖人ではない。果たして言葉だけですべてを教え諭せるものであろうか。


堪忍袋MAX

広く知られたことだが、子どもというのは特有の残虐性をもっている。
大人だったらちょっとためらうようなことも、嬉々としてやってのける。
わたしもそれにもれず、小学生のときはなかなかの嗜虐性をもっていた。
飼っていたカマキリの餌として、トンボをつかまえ、わざわざその腹を裂いて食べさせたりなんてことは日常茶飯事だった。
さらに思い返してみると、攻撃性が高かったのも、やはり小学生のころだったように思える。
事あるごとに頭突きをかまして、対戦相手を泣かせていた記憶がある。
中でもひとつ、とても印象深いことがある。
6年生のころ、ひとつ下に生意気な後輩がいた。
同じ部活の男子数人なのだが、何かあるたびにちょっかいをだしてきたり、からかったりしてきた。それがまた、いちいち癇に障るような言葉で、よくぞここまで人を怒らせることが出来るものだと感心するほどであった。
もちろん当時のわたしにそんなことを感じる余裕もなく、激情に任せて怒鳴ったりするのだが、馬耳東風で、幼きわたしの堪忍袋もマックスまで膨れ上がっていた。
そしてある日、とうとう堪忍袋が破裂する。
きっかけはよく覚えてないが、突如ブチ切れたわたしは、その中のひとりの腹を思いっきりぶんなぐった。
相手は腹を押さえてしゃがみこみ、さめざめと泣き始めた。
すると、他の連中が「なにすんだよっ」と怒りだした。わたしはそれに答える余裕もなく、黙ったまま、ただ彼らをにらみつけた。
にらみ合いが続いたが、授業開始の鐘が鳴り、お互い教室に戻る。
「と、とうとうオレ、ヤッちまった……」
多少、手が震えた。
授業中、廊下に呼び出される。
そこにはさっきぶんなぐった男子の担任の先生がいた。どうしてこんなことをしたのかと問いただされて、わたしはしぶしぶそれまでの経緯を話した。
その先生は驚いたことにさほど怒らなかった。
ただ暴力は絶対ダメだよという旨を言い渡し、去っていった。
それで次に担任も同じようなことを言われ、謝ってこいと言われる。
掃除の時間になり、わたしはダッシュで被害者を探し出し、「ごめんなさい」と言って、いきなり土下座した。
彼は「いいよ、そんな」と言って慌てていた。後から聞いたところによると、1時間くらいまともに呼吸できなかったそうだが、この謝罪をもって、我々は無事に和解した。
その一件以降、彼らがわたしをからかうことは目に見えて減った。
まぁ、そりゃそうだろうな。


少年は信じ、裏切られる

子どもというのは純粋無垢で、大人になってからは到底あり得ないと思えるようなことでも、そのキラキラと輝く瞳でひたむきに信じているものである。
サンタクロースがやってきてプレゼントをくれるとか、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるとか、それ以外にもファンタジーに富むものが、彼らの胸の中にはぎっしりとつまっている。
それらが彼らに夢を与え、好奇心を育み、さらには想像力を養う手助けとなる。
だが、子どものころを振り返ってみると、わたし自身、それらを信じていたという記憶はない。変に大人びていて、ひねくれていたということもあるし、もっとも単に覚えてないだけということもあるだろう。
しかし、ひとつだけ、実に荒唐無稽な話を信じていた時期がある。そもそも、なぜ我が両親がこんな話をしたのか理解に苦しむ。
その場限りの戯れの言葉だったのだろうが、わたしはそれをすっかりと信じ込み、いつかいつかと、やきもきしたものだ。
それが「毛生え届け」である。
要するに「下の毛」が生えてきた場合、それを役所に届けなければならないという珍妙なる制度のことだ。
今となってみれば何とも馬鹿馬鹿しい話で、一笑に付すくらいのものだが、当時、少年だったわたしはこれを真に受け、一体どこまで生えた段階で報告すべきなのか日々考えていた。
一本でもはっきりとした萌芽が見られたときなのか、それともしっかりとした草原が完成したときなのか、まだ早いのか、もう遅いのか、役所には書類で報告するのか、口頭で伝えるのか、親に言えばいいのか、もうみんなは済んだのか、男女ともにあるものなのか、その他さまざまな疑問が渦のようになって頭を支配した。
なんでこんな恥ずかしいことを報告せねばならぬのだ!と、政府に言われなき怒りを抱いたりもした。
そして、時は人を成長させ、そして生長させる。
お風呂に入るたびに、「これはもう報告すべきなのか、どうなのか。うーむうーむ」と悩む日々が続く。
ある日、とうとう踏ん切りがつき、親に報告することにした。
「あのさ、その……、毛生えてきたんだけど」
「ああ、そう」
「それで、毛生え届けなんだけど」
「は?」
母親は一瞬きょとんとした顔を見せ、その後、爆笑した。
その急展開にわたしは事態が把握できず、しばし逡巡し、その後赤面した。
なんて嘘をつきやがる、人の気も知らないで!
それ以来、わたしは大人を信じなくなった。


激走七丁目公園

小学生の間には、いろいろなブームが訪れる。
わたしたちの時代だと、ファミコン、ミニ四駆、ドッジボールなどがあった。
そんな中、わたしと数人の友だちだけに流行った、超ローカルな遊びがある。
これはもはや遊びといっていいか微妙なところで、みんな本気でやっていた。
準備物は、三輪車や小さい子が乗るような車(新幹線)、あとはペダルを交互に押して進む車など。こういうのを3台くらい用意する。
そして公園に線をひいたりしてコースを作る。
これで準備完了。
お分かりの通りレースである。
ひとりが乗車し、もう1人が押す。
つまりドライバーとエンジンを2人1組で果たす。
これを全速力でやるのだ。
小学校高学年ともなれば、それなりのスピードがでる。しかも押す方は真剣に走るので、あまり前を見ておらず、ドライバーのハンドルさばき如何では、クラッシュも大いに起こりうる。
実際にスピードが出すぎていて曲がり切れず、そのままコースアウトして、あらぬ方向へ行くこともしばしばあった。
特にひどいのは、ペダルを押すタイプの車である。これは乗っている方が半端じゃないスリルを味わえる。
まずペダルに足を置いてはならない。
後ろのターボが全開のため、自力で動かす必要がないし、むしろ足を入れることはかなり危険なのだ。なにせ肉食獣の咀嚼ように高速にペダルが動いているので、下手に足をつっこむと「持っていかれたーーー!」ということになる。
三輪車は三輪車で、扇風機のようなスピードでペダルが回っており、足が外れてしまうと容赦なく、足に喰らいついた。
こういう感じで、ただでさえ危険度が高いレースなのに、さらにエキサイトしてくると、相手への攻撃まで出てくる。
ドライバーが空いている足を使って敵車輌を蹴飛ばしたり、エンジンが暴走して自車輌ごと相手に突っ込んでいったりと、もはや戦場であった。
というわけで、擦り傷、切り傷は当たり前で、今考えると骨が折れてもおかしくないくらいの激しさであった。
これが一時期流行り、レースをしてはミーティング(「どうやってタイムをあげるか」や「どうやって相手を脱落させるか」や「なぜおれたちはこんなことをしているのか」などなど)を繰り返し、さらなる高みをみなで目指した。
いやはや、よくもまあこんなことを真剣にやっていたものだなぁ。
昔の子どもはワイルドだ。


花見狂想曲

背伸びをして大人の真似をしようとするのは子どもの常であろう。
小学生だったわたしは、花見というのに憧れていた。大人たちが楽しげに騒いでいるのを見ると、無性に心ひかれるものがあった。
早速、学校の桜の下で、花を眺めてみるものの、思ったほど楽しくない。
なぜあんなに大人たちの花見はあんなに楽しそうなのか?
それはやはり食べ物や飲み物(酒)があるからだろう!
というわけで、放課後にみんなでお菓子やジュースなどを持ち寄り、花見をしようと友だちらに持ちかけた。
思った以上に賛同を得ることが出来て、総勢8人くらいで近所の水辺にある桜の下で花見をすることになった。
気の置けない仲間が集まって、お菓子などを食べながら遊ぶのだから、楽しくないわけがない。異常なまでにテンションは上がり、「これが花見か、なるほど!!」と興奮しながら楽しいときを過ごした。
ひとしきり遊び倒し、そろそろ日も暮れ始めようというころ、「では、そろそろお開きに」という流れになった。
それぞれゴミなどを片付けるのだが、小6の男子など、生真面目に後片付けをするわけもない。ぐだぐだとだべったり、相変わらずじゃれあったりしていた。
その中で、いつも真面目な優等生タイプの子が「みんなで片付けようよ」と言ったので、わたしは思わず反射的に「○○ちゃんが、お菓子持ってきたんだから、○○ちゃんがゴミも持って帰ればいいべや」と答えた。それにみんなも笑いながら同意し、結局その子と、もう1人の子に片づけをまかせ、我々は早々に帰ってしまった。
当時、我がクラスでは作文を書かせられることがよくあった。
そして、件の優等生が花見のことを書き、それが学級会で問題になった。
作文内では名前は伏せられていたが、わたしが言った暴論がそのままの形で取り上げられており、「やべ。ぜってぇ怒られる」と戦々恐々としながら、うつむいていた。
先生はその作文を読み上げ、いかにこの行為が卑怯かということを滔々と語り、みんなは黙って頭を垂れていた。
幸いにも、自分だけつるしあげられるということはなく、みんなが説教され、その問題はそれで終わりとなった。さらに、そこで○○ちゃんにみんなで誤った。
常識的に考えれば「○○ちゃんに申し訳ないことをしたな」と反省するのが当たり前である。
が、当時のわたしは「なにチクってんだよっ。せっかくの楽しい思い出が台無しじゃないか!」と憤慨していた記憶がある。
実際のところ、小学生男子なんて、こんなもんですよね?